先日、長男の最後の通級でした…
最後ということもあり、私も一緒に学習に付き添うことに…
先生と1年生の通級からの振り返り。
何先生とどんなことをしたのが印象に残っているか、記憶を辿りながら答えていました。
私自身もことばの教室へ初めて行った日のこと…
「お母さんのせいじゃないのよ」
そう言われて、涙が出たことを思い出しました。
吃音に関する知識のない私に「こんな本があるのよ!良かったら読んでみて…」と、菊池先生の著書を薦めてくれました。
吃音は治る人もいるけど治らない人もいる…
長男は 後者
それは絶望しかなかったのですが、そこから何が出来るのかという、親として出来ることを模索しながらの4年間でした…
低学年の頃、通級のお迎えに行くと「どうしてことばの教室に通わなきゃいけないの?」と、クラスのお友達から聞かれました。
その子は同じ登校班で家も近所の女の子。
「私は吃音があっても○○(長男)のこと好きだよ」
あぁ、そういうことなんだなと…
吃音があったっていいんだよと、そう言ってもらえる環境が1番大事なんだと心底思えた瞬間でした。
2年生では同学年の男の子と互いの吃音を気にせず、夢中でゲームをしたり…
またその頃より、グループでの学習も入って、他の学年の方とも一緒に活動することが増えました。
1つ年上の男子が退級する日、お楽しみ会でピザを作って食べました…
その日の最後に退級を知り、帰りの車の中で寂しそうにしていた長男がいました。
その後、同学年の男子も退級…
長男も退級を見据えた学習となり、自分のトリセツ作りに入りました。
ことばの教室での学習発表会で、吃音について学んだ知識やどんな話し方なら楽なのかなどを試し、発表したり…
そんな経験を交えた、本人なりのトリセツが完成したのです。
コロナ禍で表紙のみ残す状態で、本来4年生での退級を目指していたのですが、少し延びた退級でした。
長男にとって、本当に貴重な充実した4年間だったと思いました。
修了証を手にした時、何とも言えない表情を浮かべていました…
寂しい気持ちが強かったのだと思います。
当たり前のように通った場所を去るのは寂しいものです…
私自身も毎週のように通った道、その道中のことなど思い出され、早めの卒業式気分でした。
お世話になった先生方にお礼を言い、ことばの教室を後にしました…
「○○(長男)、4年間ことばの教室に通えて良かったね」
私の言葉に元気に「うん!」と…
その言葉は晴れやかで気持ちの良い、まるで澄み渡る青空のような返事でした。
長男に 吃音 がなかったら良かった。
でも、吃音 があったから出会えた人がたくさんいて…
アメブロでも吃音のことやことばの教室のこと、情報発信してくださる方々のブログを拝見することが増えました。
皆さまにも感謝です✨
長男に吃音があったから、私は寄り添うことの大切さを改めて知ることが出来ました。
長男からしたら、吃音のない方が良かっただろうけど…
生きてれば嫌なことも良いこともある。
プラスマイナスゼロがちょうど良いのかなと、吃音をその程度に捉えながら、弱点ではなく個性だと思って進んで欲しいです。
ひとりじゃない!
周りに助けを求めながら進んで欲しいと、心から願っています。