昨日は父の日でしたね…

義父からカミソリの替刃をプレゼントに買って欲しいと言われましたΣ(o''д''o)ハッ!!

父の日、リクエストする義父…

長女は「はぁ?父の日のプレゼントはサプライズじゃないの?」と言ってましたが、あなたのおじいちゃんはそうじゃないのだよw


さてさて、私の実父が亡くなったのは昨年の夫の42歳の誕生日でした…

来月は1周忌法要を執り行う予定です💡

コロナのことがあって法要をやめるか悩みましたが、県跨ぎの解除もあり、予定通り(オリンピックが開催されることを想定して早めに予約していたのです)やることに…

なるべく、人数は少なく済ませるために親戚の参列はご遠慮いただくことにしました!

新しい生活様式

仕方がありません(´;ω;`)

少し父のことを書こうと思います。

父は高校を卒業した後、宮城県から埼玉県に就職のために出て来ました…

埼玉県で働き、母と出会い結婚。

父は20歳、母は17歳の時でした。

私が生まれたのは父が26歳、母が23歳の時になります。

若くして結婚したので、お金もなくて、生活が安定してから子どもを作ったというところでしょうか。

くそ真面目という言葉がピッタリの父でしたので、納得ですw

サラリーマン生活を経て、内装業の仕事を始め、零細企業ではありましたが会社経営まで精一杯全力でやり遂げました。

父は「人を恨むな」と言っていました。

父の会社は取引先の手形が不渡りになったり、取引先が夜逃げをしたり、かなり損害を被りました。

それでも父は恨み言など言ったことはありませんでした…

私は人を恨んだことがあります。

恨んで恨んで、生き霊になって呪い殺してやりたいと思う人間がいます。

ただ思うだけでは生き霊にもなれないし。

実際はそんなこと出来ませんよねw

ですが、私に酷いことをした人間は身内が急死するということが2度ほどありました。

1人は兄を亡くし、もう1人は母親を亡くしました…

ちょっと怖くないですか!?

私はさほど憎んでも恨んでもいなかったのに…どんな力が働いたのか、いや、偶然ですよね(*`・ω・)ゞ

話がそれましたが、父はどんな時も人を恨まずに生涯を終えました…

父は日曜大工が得意でした!

休みの日もジッとしてはいませんでした。

ものづくりが好きでした。

57歳で脳出血により、右半身麻痺、認識障害、失語症となりました。

会社も廃業、家を売却、失ったものは大きいものばかりでした…

その後、リハビリがてら始めた塗り絵。





色彩豊かにプーさんが塗られています。

この3枚は私、妹、弟で形見分けをしました…



今、私はハンドメイドアクセサリーを販売しています…

ものづくりの部分は父譲りかもしれません!

私の長男は折り紙や羊毛フェルトが好きで、手先が器用です。

それもまた引き継がれているのかなと思います…

人が死んだ時、その生きた証は目に見えないものだったりするのかもしれませんね。

父の日…

父のことを思い返す日になりました
( ´-` ).oO