前回、文章で読む際の、英語と日本語では、聞こえてくる声が違う、というところまで、お話ししました。

 英語は、軽く淡々としていて、日本語は、抑揚があって、表情が豊かに感じられます。

 これには、おそらく、ふたつの理由が、考えられます。

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 ひとつは、もともと英語と日本語が、それぞれそういう特徴を持っているということ。

 もちろん、抑揚たっぷり、とても情緒的に、英語を話される方もいらっしゃいます。

 でも、文章で読む場合に限って言えば、英語の響きは、日本語より、フラットに聞こえます。

 特に、この『The Gardener』の場合、本文が手紙文ということもあって、一層、淡々とした声で語られているような、印象になるのです。

 これに対し、翻訳で読む場合は、まるでリディアという女の子が、耳元で読み上げてくれてるような、生身の人間の声が聞こえてきます。

 これは、もともと英語と日本語との間に、抑揚の差があるからではないかと、僕は考えています。

 言語としての、もともとのリズムや抑揚が異なる、ということです。

 たとえば、フランス語や、ドイツ語や、ロシア語の話し言葉を聞いていて、なんだか日本語より抑揚が少ないな、と思われたご経験はありませんか?

 僕が、ここでお話ししたいのも、そういうことです。

 それが、文章で読むと、一層際立つ訳です。

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 もうひとつの理由は―この方が大きいのではないかと、思うのですが―我々が英語にあまり習熟してないことです。

 もちろん、英語の得意な方も、不得意な方もいらっしゃいますから、それらを一緒くたにするのは、乱暴です。

 でも、日本語より、英語の方が得意、という方は、それほど多くないのではないでしょうか。

 たいていの方が、母語である日本語を、最も得意としていると思います。

 プロフィールにある通り、僕も、英語がそれほど得意ではありません。

 だから、英文の抑揚を正確に捉えられず、軽く、淡々とした語りのように、読めてしまうんだと思います。

 加えて、日本語なら意味が一瞬でわかるので、読むと同時に、我々の心は刻々と動かされて行きます。

 これに対して、英語は、まず意味がわかるまでに、タイムラグがありますから、文章を味わうのに時間がかかります。

 加えて、意味を取るのに必死なあまり、心の動き方が、鈍くなるような気がするのです。

 実は、これらの違いが、この二冊の読後感を、随分異なったものにしているように、僕には思われます。

 それはどういうことなのでしょう、次回に続きます。