アンドレ・ダーハンが描くファンタジックな世界は、さらりと読み流しても心に伝わるわかりやすさを持ってます。

またその一方で、何度読み返してもうまく解決のつかない、違和感のようなものも兼ね備えています。

たとえば代表作の『My Friend the Moon』。

 

 


空高くから三日月が落ちてきて、男の子がそれを救い、自分の家に招待するお話です。

一緒にピアノを弾いたり、音楽に合わせてダンスしたり、チョコレート・プディングを食べたり。

ほんとに楽しそうな光景で、見ていて思わずほほえんでしまいます。

でも何度か読み返していると、いくつかの疑問が、小さな泡のように浮かんでくるのです。

なぜピアノなのか?

なぜダンスするのか?

なぜきちんとしたディナーでなく、チョコレート・プディングを食べるのか?

それは三日月と友だちになれた男の子の、輝くような喜びをくっきり描き出すために選ばれた道具だてに違いありません。

でも少し立ち止まって考えると、また別の読み方もできるように思われてくるのです。

もしかしたら、作者の構想では、三日月と男の子との間で、もっとたくさんのことが一緒におこなわれていたのではないか。

そしてそうしたふたりの姿は、絵本に収められた枚数よりも、はるかに多くの挿絵として、すでに描かれているのではないか。

上述のシーンは、一冊の本としてまとめるために、その中からたまたま選ばれたものに過ぎないのではないか。

そう考えると、ダーハンのすべての作品に見られる「奥行きの深さ」の秘密がわかる気がします。

ダーハンの挿絵の特徴、それは一枚一枚がきっちり完結しているということ。

どの見開きからも、独自のストーリーが感じられます。

このため、それらを一冊の絵本のストーリーの流れに置くと、挿し絵と挿し絵の間にちょっとした違和感が生まれるのです。

その違和感を、お話の糸が切れてしまう手前ぎりぎりまで引っぱる、ダーハン一流のバランス感覚。

それが作品に、まるで夢や神話のような広がりと奥行きを与えているように思われます。

そこまでわかってしまえば、後はこの作者の魅力をどんな風にも言うことができそうです。

癒しや和みといった、現代人に人気のキーワードにつなげてもいいですし、心の豊かさにつなげることもできます。

愛や自然保護や他人への思いやりをうたった作品もあります。

でもその底にはいつでも、完璧主義者の作者の横顔が、透けて見えるように感じられるのです。

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これも随分前に書いた、アンドレ・ダーハンという絵本作家についてのコラムのようなものです。

再録に当たり加筆修正しました。

僕が勤めていた会社は、この作者の英語版を何タイトルか出版、販売していました。

詳しくは知らないのですが、コーパブという出版方法によってです。

Co-Pubという綴りだと思いますが、共同出版とでも訳せばいいのでしょうか。

たとえばダーハンのフランス語版の絵本を、どこかの国の出版社が出すとします。

その文字の部分だけを、データで送って、一緒に英語版も刷ってもらい輸入するのです。

大筋のところそんな出版方法じゃなかったかと思います。

だから会社としては、ダーハンの作品にはひとかたならぬ思い入れがありました。

それで、会社で通販サイトをつくったときに、わざわざこの作者のコーナーを設けた訳です。

でもそうした事情を抜きにしても、個人的にこの作者は結構好きです。

いちばん気に入ってるのは『Dear Little Fish』という作品。

見かけられたら、是非お手にとってみて下さい。

翻訳は『ぼくのちいさなともだち』。

 


ちなみに『My Friend the Moon』の翻訳は『ぼくのともだちおつきさま』というタイトルです。