数年ぶりに、ブログを書くことにしました。
リーグ戦のカウントダウンブログということで、何を書こうかかなり迷いました。
今シーズンの目標を書くのか。
チームの強みを書くのか。
対戦相手への意気込みを書くのか。
選手たちへの期待を書くのか。
どれも間違いではないと思います。
ただ、ヘッドコーチとしてリーグ戦を迎える今、一度、自分がなぜここにいるのかを言葉にしておきたいと思いました。
なぜ、大学を卒業してからもラクロスを続けてきたのか。
なぜ、プレーする側から、人を支える側に回ったのか。
なぜ、仕事や自分の生活がある中で、今も毎週のようにグラウンドに立っているのか。
なぜ、時には選手たちから嫌われるかもしれない厳しいことを言ってまで、このチームを強くしたいと思っているのか。
そして、自分がこれまでラクロスから受け取ってきたものを、今の明治学院にどう返していきたいのか。
もしかすると、2026年が私にとって最後になるかもしれない。
今の時点で何かを決めているわけではありません。
ただ、当たり前じゃないなと思ってます。
だからこそ、このリーグ戦を迎える前に、一度、自分のラクロス人生を振り返り、今このチームで戦う意味を書いておきたいと思いました。
もし今年が最後になったとしても、やり切ったと胸を張れるシーズンにするために。
これまで受け取ってきたものを、今の明治学院にすべて注ぐために。
少し長くなりますが、今の自分が考えていることを書きたいと思います。
僕がラクロスを始めたのは、大学に入学した2013年です。
気づけば、人生のかなりの時間をラクロスと一緒に過ごしてきました。
大学では選手としてプレーし、卒業後も社会人チームで日本一を目指しました。
その後は大学ラクロスの指導に関わり、今は明治学院大学女子ラクロス部のヘッドコーチを務めています。
できなかったことが、少しずつできるようになること。
昨日まで通用しなかったプレーが、考えて、練習して、もう一度挑戦することで通用するようになること。
仲間と同じ目標に向かい、自分の限界を少しずつ越えていくこと。
負けた後、悔しさを抱えながらも、またグラウンドに立つこと。
そういう時間に、僕は何度も夢中になりました。
僕が大切にしている言葉があります。
「向き不向きよりも、前向きに」
向いているかどうかを考える前に、まず前を向いてやってみる。
うまくいかないからといって、すぐに「自分には向いていない」と決めつけない。
できない理由を探すのではなく、できるようになるために何をすべきかを考える。
苦しくても、今の自分にできる一歩を探す。
振り返れば、この考え方を僕に教えてくれたのは、ラクロスだったのだと思います。
大学4年生の頃、僕は意気込みブログにこう書きました。
「熱意で何かを変えられる最後の存在になりたい」
当時の僕は、自分の熱意でチームを変えたい、仲間を変えたい、何かを動かしたいと思っていました。
今振り返れば、かなり青臭い言葉ですし、生意気です。
世の何かは私よりも熱量ある選手がいて、狭い井の中の蛙でした。
でも、今の僕も、その気持ちを否定していません。
何かを本気で変えたいと思うこと。
周囲から暑苦しいと思われても、信じていることを伝え続けること。
結果が出る保証がなくても、諦めずにもがくこと。
それは今も、自分の根本にあるものだと思っています。
ただ、指導者になり、熱意の向け先は少しずつ変わりました。
昔の僕は、自分の言葉や行動で誰かを変えられると思っていたのかもしれません。
でも今は、人は誰かに変えてもらうものではないと思っています。
人は、最後は自分自身で変わっていくものです。
指導者が、選手の代わりに努力することはできません。
誰も見ていない時間にクロスを握るのも、自分の映像を見て課題を探すのも、試合で緊張や恐怖と向き合うのも、最後は選手本人です。
指導者にできるのは、その人が自分の可能性に気づくきっかけを渡すこと。
本気で挑戦してもいいと思える環境をつくること。
進む方向を見失った時に、一緒に考えること。
そして、選手が自分の足で前に進もうとする時に、支えることだと思っています。
僕は、ある時期から学生たちのことを「教え子」と呼ばなくなりました。
僕は先生ではなく、スポーツの指導者です。
彼女たちが上手くなったのは、僕が育てたからではありません。
選手自身が悩み、考え、努力を重ねてきたからです。
だから僕は、彼女たちを「選手」と呼びます。
指導者と選手。
立場も役割も違います。
それでも、同じ目標に向かって、それぞれの責任を持って戦う関係だと思っています。
僕の熱意は、昔より小さくなったわけではありません。
むしろ、今の方が強いと思います。
ただ、その熱意を、自分が何かを成し遂げるためだけではなく、選手たちが自分の力で何かを成し遂げるために使いたいと思うようになりました。
ここまでラクロスを続けてこられたのは、自分一人の力ではありません。
ラクロスの面白さを教えてくれた人がいました。
上手くいかなくてグレてた時に、愚痴を聞いてくれた先輩がいました。
信頼関係とは何かを教えてくれた同期がいて、出来ない自分を面白くいじってくれる後輩がいました。
社会人の中でもがきながら、背中を見せてくた先輩達がたくさんいました。
選手として限界を感じた時にも、指導者として行き詰まった時にも、手を差し伸べてくれた人がいました。
その時々に出会った人たちがいたから、僕はラクロスを続けてこられました。
そして振り返ると、僕がラクロスを通じて出会った人たちは、自分が所属してきたチームの中だけには収まりません。
新しいラクロスの楽しさに触れる機会をつくってくれた人たち。
ともに学び、考え、伝えてきた人たち。
キッズラクロス、ジュニア、ティーンズを通じて出会った子どもたちや、この競技を次の世代へつなごうとしている人たち。
名古屋ラクロス納めで、地域も年齢も所属も越えて、同じグラウンドに立った人たち。
所属する大学も、社会人チームも違う。
年齢も、立場も違う。
日本一を目指している人もいれば、純粋にラクロスを楽しんでいる人もいる。
初めてクロスを持つ子どももいれば、長い間この競技を支え続けている人もいる。
普段なら出会わなかった人たちが、ラクロスという共通点によって同じ場所に集まり、言葉を交わし、一緒にクロスを持つ。
ラクロスには、そういう力があると思います。
そして、そうした場所は自然に存在しているわけではありません。
会場を確保し、人を集め、道具を用意し、安全に配慮し、当日を迎える。
参加する側からは見えないところで、誰かが時間と労力を使ってくれています。
自分がラクロスを楽しめた一日の裏側には、必ず誰かの働きがありました。
自分が新しい人と出会えた場所も、誰かがつくってくれたものでした。
自分が指導者になり、環境をつくる側になって、ようやく分かるようになったことがあります。
ラクロスをできる場所があることは、当たり前ではない。
集まれる仲間がいることも、教えてくれる人がいることも、挑戦できる機会があることも、当たり前ではない。
誰かが、この競技を好きでいてくれる。
誰かが、次の人のために場所をつくってくれる。
誰かが、自分の時間を使ってラクロスを支えてくれている。
そうした一人ひとりの思いによって、僕のラクロス人生はつながってきました。
今の明治学院も、たくさんの縁に支えられている
今、明治学院で一緒に指導してくれているアシスタントコーチたちも、全員、これまでの僕のラクロス人生で生まれた縁によって、このチームに来てくれています。
僕一人では、今のチームをつくることはできません。
僕にはない視点を持っているコーチがいます。
僕にはできない伝え方ができるコーチがいます。
技術を教えてくれる人がいます。
選手の気持ちに寄り添ってくれる人がいます。
見えないところで、チームのために動いてくれる人がいます。
今の明治学院は、そうした多くの人の力によって成り立っています。
自分が過去に受け取ったものが、人との縁を通じて形を変え、今の明治学院につながっている。
だから僕は、自分がラクロスから受け取ってきた縁を、自分のところで終わらせたくありません。
今の選手たちが、いつかここで受け取ったものを、また次の誰かへ渡してくれたら嬉しい。
誰かが挑戦しようとしている時に、背中を押す。
苦しんでいる人がいた時に、少しだけ力を貸す。
自分が誰かから受け取った優しさや厳しさを、別の誰かに渡していく。
そうやって、人から人へつながっていくものがあると思っています。
厳しくするのは、可能性を諦めたくないから
僕は、選手たちに厳しいことを言います。
もっと考えてほしい。
ただ見るのではなく、観察してほしい。
上手い選手と自分の何が違うのかを考えてほしい。
正しい方向に、必要な量の努力をしてほしい。
自分の弱さから逃げないでほしい。
誰かのせいにする前に、自分に何ができるのかを考えてほしい。
時には、そこまで言わなくてもいいと思われることもあるかもしれません。
僕自身、伝え方を間違えることがあります。
感情が強く出すぎることもあります。
指導者として未熟だと反省することも、何度もあります。
それでも、選手に対して無関心になることだけはしたくありません。
厳しくするのは、その選手を否定したいからではありません。
その選手が持っている可能性を、本人より先に諦めたくないからです。
本当はもっとできると思っている。
もっと考えられると思っている。
もっとチームのために行動できると思っている。
だから求めます。
期待しているから、厳しいことを言います。
信じているから、簡単に逃げることを許したくないと思います。
もちろん、厳しくすれば人が育つわけではありません。
ただ耐えることを強要する指導が正しいとも思っていません。
なぜ、この練習をするのか。
なぜ、この基準を求めるのか。
なぜ今、この課題と向き合う必要があるのか。
その理由を、僕たち指導者は説明し続けなければいけません。
そして、失敗してももう一度挑戦できる環境をつくらなければいけません。
分からなければ聞ける。
助けが必要なら、助けを求められる。
自分の可能性を試すことができる。
選手がまだ自分を信じられない時に、その可能性を先に信じておく。
それも、指導者の仕事の一つだと思っています。
僕は選手たちに、何度も「戦おう」と伝えてきました。
戦いましょう。
勇気を出しましょう。
覚悟を決めましょう。
やってやりましょう。
ただ、僕が言う「戦う」は、対戦相手を倒すことだけではありません。
一番戦わなければいけない相手は、自分の中にいる弱い自分だと思っています。
失敗することが怖くて、一歩前に出られない自分。
ミスをした後に、もうボールに関わりたくないと思う自分。
苦しい時に、誰かが何とかしてくれるのを待ってしまう自分。
思うようにいかない理由を、環境や仲間のせいにしたくなる自分。
その自分と向き合うことが、戦うということだと思っています。
戦う人は、恐怖を感じない人ではありません。
怖くても、一歩前に出る人です。
自信がなくても、声を出す。
ミスをしても、もう一度ボールを要求する。
苦しい時に、仲間のために走る。
試合に出られなくても、自分にできることを探す。
そうした小さな勇気の積み重ねが、選手を強くし、チームを強くするのだと思います。
そして、そうやって自分の弱さと戦った経験は、ラクロスを離れた後にも残ると思っています。
努力しても評価されない時。
人間関係で悩む時。
自分の思いどおりにならない時。
正解のない中で、自分で決断しなければならない時。
その時に、ラクロスで戦った経験が、その人を支えてくれたら嬉しいです。
人生の大切な場面で、自分の弱さから逃げずに戦える人になってほしいと思っています。
そして、ここまで選手達スタッフ達はたくさん悩み苦しみ、それでもここまで戦い抜いてきました。
やってきたことを信じて戦いましょう。
そして、ラクロスへ。
僕は、ラクロスからたくさんのものをもらいました。
夢中になれる時間。
勝つ喜びと、負ける悔しさ。
自分の弱さと向き合うこと。
一人では出会えなかった人たちとの縁。
恋ももちろんしてきました。
ラクロスがなければ、今の僕はいません。
だから今度は、自分が返す番だと思っています。
これまで受け取ってきたものを、今の明治学院に注ぐ。
選手たちが本気で挑戦できる環境をつくる。
自分を信じられない時には、その可能性を先に信じる。
それが、僕なりのラクロスへの恩返しです。
リーグ戦の結果は、神のみぞ知る世界です。
でも、どう戦うかは自分たちで決められます。
怖くても一歩前に出る。
ミスをしても、もう一度挑戦する。
苦しい時こそ、仲間のために声を出す。
ここまでやってきたことを信じて、戦いましょう。
もし2026年が最後になったとしても、このチームと戦えてよかったと胸を張れるように。
僕も最後まで、自分のすべてを注ぎます。
向き不向きよりも、前向きに。
明治学院らしく、最後の一秒まで戦い抜きましょう。



