前回のあらすじ:2020年コロナ禍の下、「受験生」として暇な生活を過ごしているうちに、現状への不満や、将来のこと、自分はどう生きるべきかということを考えはじめた自分は、もう一つのルーツである台湾への関心が強まり、台湾人意識を抱くようになったが、ほとんど日本で、日本語で生活しているが故に、それが幻想や虚構であるかもしれないことが課題となった。

 

 

 

 

こんにちは、長い間ブログをほったらかしにしていたのですが、散髪の順番待ちがあまりにも暇すぎたので、ついにアメブロを開くに至りました、ボンクラです。一連の帰属意識だとか、アイデンティティだとか、生き方だとかの話をしよう、ということになってましたが、前回は主に出自の話や、ルーツ、民族とかそっち系の話がありました。いわば「我々()はどこから来たのか」という感じのやつです、はい。片方だけですけど。あ、できれば前回から読んでください。

 

で、今回はもう少し「今」の話にしようと思います。前回のブログで書いた目次によると、

 

・生活のコミュニティの話。ABCD共同体。現代社会、階級、分断と個人化

 

などということが書いてありました。盛り沢山ですね。ところでABCD共同体ってなんですか、僕もわからんのですけど、変な名前ですね、恐らくABCD包囲網のパチモンかなんかでしょう。上手いこと書ける気もしませんが、まあ書き始めたらなんとかなるやろ。

 

 

さて、人は社会的動物であると、どっかの昔のエライ人が言っていたような気がするのですが、とにかく人は生活上幾つかのコミュニティに所属しながら生きていくんだと思うんですね、俺は修道士だからとか、私は1人で世俗を離れるだとか、なんなら完全自給自足で完結してる人いらっしゃるかも分かりませんが、とにかく大体の現代日本に生きる人は、過去または現在のいかなる時においてもなんらかのコミュニティにあると思うんです、孤独を感じるとか、頼る人がいないとか、そういうことは当然あるかとおもうのですが、とにかく家族であれ、学校であれ、職場であれ、また地域社会であれ、程度や性質の差は有っても、他人と何らかの関係を持たされる場というのはあると思います。

 

で、コミュニティってあるよねと言うためだけに何百字使うねんと怒られそうなのですが、この一年で私はコミュニティのあり方ですとか、人と人の社会における関係ですとか、そういったことをなんかどうにかならんかなぁと妄想することが多かったんですね、で、それをここに文字にして記録してみよう、というわけです。

 

 

さて、私は中高6年間を灘校という場で過ごしたので、灘校という空間は自分が所属するコミュニティと言えるわけです。灘校でよく言われることには「自由な校風」がありますが、それに関連して、生徒の個性が強いと言うことが挙げられ、これはもう疑いようもないと思います。プロ級に楽器を弾いたり、プログラミングを極めたり、模試で異次元な成績を叩き出したり、〇〇オリンピックに出たり、運動部なんかでも県大会、全国出場、いや素晴らしいですね。

 

ですから、個性的、いや本当に個性的なんですが、私はその一方で、均質的だなぁ、と感じることがあります。たとえば2/3が東大を受験し1/3が進学する、1/6が医学部に行く、220人中170人が東大か京大を受け、半数が浪人する…

自由な校風と言いながら、進路は「とりあえず東大」を目指すようになっている、この現象に違和感を持つわけで、いや灘はそういう学校なんだというだけですから、文句を言っても仕方はないし、きっと同級生もそれぞれ真剣に進路を考えたのだと思いますし、結局私も一橋大学とかいう「高学歴」に進学するわけですが、つまり何が言いたいかと言いますと、普段やってることや好きなことはみんなバラバラで、個性はあるようには思えるが、進路において、また、考え方において、あるいは家庭環境においてはどうしても似たようなものになる、さらに言えば、「好きなこと」の性質まで似ていたり、生き方、志向まで似ていると思うんですね。他にもそもそも男子校であるとか、入試で学力の高い子を入れるようになっているとか、そもそも同じような子が集められるシステムになっているのですが、この学校を自分が選んだということは重々承知ですが、私はそれに違和感、あるいは、この言い方が適切かは分かりませんが嫌悪感を持つようになってきたのです。何となくわかんないんだけど、みんな同じで、狭い感じ。自由だ自由だと言われ続けながら、進路においては皆一緒という現象が、どうしても気持ち悪く感じられるのです。

 

つまり、医者だとか、経営者だとか、学者だとか、とにかく社会的地位か経済力のある家庭に生まれ、色々な教育的な投資を受け、塾に通い、私立中学校に入る、趣味も「高貴な」ものが多く、自己の成長がしたいときにできる環境が整った中で生きて、そして同じような背景を持った人と交友関係を結ぶ、成長のための課外活動に参加し、能力をさらに伸ばしていき、鉄緑会やら研伸館やらに通いエリート大学コースまっしぐらというようなことが当たり前となる世界から、私は離れたくなったのです。灘校的空間の全てが嫌なわけでもなく、素晴らしいと感じることだって多いですし、灘校生一人一人の人柄は皆良いもので、聖人だなあと、すごいなあと尊敬の念を抱くこと多々ありますし、当然灘校生の皆が上に言ったような事に当てはまるわけでもないのですが、とりあえずこの世界はおかしい。建前上は皆平等な社会のはずだし、自由なはずの日本なのですが、やはり社会において階層というか、あまり正しい言い方ではないかもしれないが階級というか、そういったコミュニティ間の壁のようなものは感じるのです。

 

さらに言えば、2020年から新型コロナウイルスにより生活を失ううとか、同世代だと学業を断念するということはよく聞かれますが、灘校の中を見る限りほとんどの人はこれまで通り学校に通い、卒業し、大学受験できてるのですね。まるで灘校の中にいると、コロナで生活が苦しいという人の存在が現実でないように感じられてしまいます。しかしそう言った人は確実にいるだろうことは、その人数が少なくないだろうことは察することができます。私の家にはアップライトピアノが置いてあり、これは15年前に中古のを買ってもらったのですが、それを受験勉強の息抜きとして弾きながらテレビのニュースで大学進学を断念する高校生のニュースを聞くと、モノに溢れた、金のかかる趣味を覗かせる自分の家の空間がまるで在るべき姿ではないかのように思われてしまうのです。人の苦境を知りながらまるで他人事であるかのように、受験勉強のみに集中する、ということが相応しいことなのか、何度も考えてしまった一年でした。

 

 

これについては、話題がだいぶ逸れるので詳しくは別の機会に述べますが、この問いに対しては、「今の自分には何もできない、大学に行くのは、社会の苦境を助けることのできる人になるためである」と無理矢理答えを出し、受験勉強を正当化し、そして言い聞かせました。何やら意識の高そうな答えが出てしまいましたが、自分自身をみてみると、他人を助けるどうこうのレベルにすら立ってなく、そもそも経済的にも生活上でも未だに自立出来ていないというのは明らかですから、自分自身の自立ということをまず目標にこの生きていきたいと思います。

 

 

ところで、私は灘校に入る前は地元の公立小学校に通っていたのですが、その時の知り合いとかをSNSで見られるような時代になりましたね。それで何人かと繋がっているのですが、彼らは時たま日常をり取って投稿したり「ストーリー」とかにあげており、彼らをみると本当に多様な日常を生きているように思えるわけです。同い年の昔の同級生が髪を染めて美容の学校に行ったり、あるいは夜に地元の街で遊んでいたり、あるいは高校を中退してバイトしていたり、いわゆるキラキラJKをしたり、ファッションガチ勢もいらっしゃいます。当然学校生活に打ち込んだり。進路も様々で、この前知ったのは教育大に行く人、酪農の勉強をする人、芸大に行く人等々就職する人も、おそらくいるでしょう。

 

SNSから窺い知れることは必ずしも彼らの生活をそのまま反映しているとは言えないけれども、少なくとも灘生とは違う生き方というのが彼らの中にはあるのです。

 

ここまでいうとまるで私が灘校をクソだと思っているとか、灘生は社会に適合するべきだとか、高学歴はクソだと考えているかのように思われるかもしれませんが、そういうわけではありません。灘校の校風、特に各々人の目を気にせず「好きなこと」ができる(鉤括弧は外せません)、知性あふれた教師陣、新しい考え方や世界を見せてくれる学校の方々は素晴らしいものがありますし、灘校のシステムが社会にも普及すればいいのにと思うことだってしばしばあります。いわゆるエリートと言いますか、良い教育を受けた人はやはり人間的にも、知識だとかの面でも、やはり受けてない人よりは成熟するだろうということは、否定はできないわけです。

 

 

では何が言いたいねんというと、自分もまとまってないのですが、おそらく個人的に「灘校的」ではないいろんな生き方、性質の人間を知りたい、全く別世界のコミュニティを知りたいし、そこに所属してみたい、ということなのだと思います。灘校的な、経済的に豊かな家に生まれ、好きなことができる環境で育った人たちとだけ交友を結び、その世界だけで完結して育った人が、どうして社会に貢献できようか、社会を変える側の人間として相応しいのか、どうして社会のエリートとしての道を歩んで良いのかという疑問も起こるわけです。これは自分自身にもですが、周りの人にも投げかけたい疑問ということになります。

 

コミュニティといえば、これまで私が居るとみなすことのできるコミュニティは灘校が挙げられましたが、ここで一度今居るコミュニティをあげてみると

・灘校(中高6年間)・家族・ネット?・大学(これから)・地域(西宮や東灘)という具合でしょうか?日常の他には親戚だとか、家族の友人の繋がりとかがあるでしょう。また灘校と言っても、学年の枠だとか、クラブとか、交友関係だとかで色々細分化することはできるでしょう。さらにコミュニティと言えるかどうかは微妙ですが、帰属意識的には神戸もそうですし、前回言ったように台湾への帰属意識も強まっています。

 

しかし結局は大体家族か灘校で回ってきたわけで、いわば非常に狭かったのですね、それがどうも窮屈になって、そしてSNSで他のコミュニティを垣間見るということが重なってそれが元となったのか、此処は私がいるべきところではない、という感覚になってきた、というのが現状なのかなと思います。灘校という世界で感じた窮屈さについては先ほど述べましたが、灘校以外でもそれは同様でした。というのは、例えば家の中の空間ですと先程のように物に溢れているし、家族から始まる交友関係も結局は経済的に強い人が多いです。社会を階層化することが適切かは知らないけれども、私の周りの人の関係をたどっても、それこそ公立小学校の繋がりを除くと、「中流」「上流」の枠からは出られないのです。(こう言ったこともあり、私は最近やたらと小学校時代を懐かしんでいるのですが、それはまた別の話ですね)

 

生まれてこの方自ら課外活動やらで新しい世界に飛び込むということがなかったのが悪いとも言えますから、ある意味自業自得ではあるのですが、このような窮屈さに不満を感じ、すべきことしたいことを考え始めたのも、高3の6月、コロナ禍の中でもう勉強するしか現実的にはできなさそうなときというので、仕方がありません。ほんまか?そういえば、台湾意識が強くなったのも、やはりこの窮屈さが一因になっているのかもしれません。

 

そういうわけで、私は長い間灘校をはじめとした複数のコミュニティに、濃度の差はあれ所属してきたとみなせそうなのですが、いろんな要因があって、そのどれともぴったり収まりきれないというか、此処に居るべきではないという感覚、収まる鞘がないというような感覚を今抱いている、ということが結論になります。

 

 

ところで今日は帰属意識のお話から広げて、コミュニティについてちょっと思ってたことを文字に残すという試みもしようと思います。

 

先程今居るコミュニティに地域(岡本・西宮)というものが挙げられましたが、私は学校や家族の他に土地・地域に帰属意識を持っているようで、これもまた小学校のせいなのかもしれませんが、4年前に西宮に引っ越したにも関わらず、昔の住処でかつ今の通学路でもある岡本を故郷として心の中で崇め奉るようになっております。何でかなぁと考えてみたのですが、たぶん西宮に知り合いがいないからなんですよね。終わった。

 

去年の夏くらいから思い始めたのが、「あれ?隣家の人と話したことなくね?」ということなんですね、言い方を変えると、「あれ?俺ら都市に住んでると、地域の人たちとの繋がり無くなるんじゃね?」ということです。これは時代のせいなのか、それとも元々都市の住宅は「働くための一時的なもの」という側面が強いからか知りませんが、近所に誰がいて、何をしているか、というのが全くわからないんです。うちには祖母がいて、祖母の世代では何処どこの〇〇さんが~という感じでたまに話題に出ることもあるんですが、私や両親になるとそうはいきません。そう言えば昔は誰かが引っ越してきたらお土産と挨拶が来たし、私たちも引っ越したときには近所に挨拶に行っていたという記憶はあるのですが、西宮では全くなかった。隣に誰が居るかはわからない、道行く人は皆赤の他人、家はあくまで寝起きするための場所…

これにに対して、その方が楽だ、という方もいらっしゃるでしょうし、特に地方の地域の束縛の強い共同体から逃れたくて都市に出た方々もいらっしゃるでしょうが、私は逆に地域の繋がりが全くないことは、何やら残念なことだなあと思うわけです。

 

なぜ残念に思うのかはわからないのですが、まあ多分単純に何やら寂しさを感じたり、あとは先ほど述べたこともあって人を、社会を知りたいという不満があるのでしょうが、私は自分の不満をよそにおいても、地域のつながりというのは都市部においても非常に大事なものであるというか、繋がりがあった方が人生豊かになるのではないのかなあ、という気がするんですね。

 

ここら辺の話題は全くの素人で、勉強もしてないのでわからないのですが、パッと思いつくものでも、災害時ですとか、あるいは個人的に困った時の拠り所になる、交友関係の一つとできる、職場などに囚われない、色々な生き方、人を知ることができる、ということはあるかと思うのです。

 

そういうわけで私が最近思うようになったのは、地域をベースにゆるいつながりを持つ、出入り自由なコミュニティというあり方は、都市部ではできないのだろうか、ということです。いわゆる田舎ほど束縛が強くなくて良いけれど、気が向いたときに軽く近所の人と交流ができる、誰かが居る。そんな場が都市部の中にもあって良いのになぁという感じです。もしかしたらこう言ったものは既にあって私が知らないだけかもしれませんが、その場合は完全に私の行動不足ということになります。なんかその可能性が高い気がしてきた。

 

 

ここら辺の話は、某note、割れ切った世界のなんたらでに関連する気もするのですが、どうでしょう。私は地域やら、人と人との繋がりやらの話から、社会の分断や個人化のことに考えを繋げることもありました。

 

隣人のつながりが絶たれたとか、地域的な共同体が崩れたのは人間の個人化をも意味すると思います。あれ?こんな感じの文章一橋の過去問にあった気が…それはさておき、人間の個人化と社会の分断というものは、やや関連があるように思うのです。此処でいう分断と某noteの著者が言いたかった分断は、ひょっとしたら意味合いが違うのかもしれませんが、私が問題にしたい分断はこれから話そうと思います。

 

どのような意味での分断かと言いますと、つまり自分のコミュニティの外にある人、社会、ものごとを知ることができなくなる、という意味での分断です。さっきからおんなじことを繰り返している気しかしないのですが、今の社会ですと自分が属するコミュニティの中の人間としか知り合うことができない、そしてそれには自分となんらかの共通点がなければならない、別にこれが悪いというわけでもないのですが、そうするとこう言った職業の人はどんなふうに生活してるんだろう、此処の店の人はどんな人なんだろう、この職種はどんな感じなんだろう、ここら辺の人は何を考えてるのだろう、これくらいの歳の人の感覚はどんなんだろう、ということが知りにくい。

 

感覚的には、自分の属している、コミュニティの集まりである生活空間・小宇宙の外のことや、他の人達の小宇宙を、直に窺い知ることができない、極端な言い方をすれば、他者理解が進まないということです。

 

 

これを考えるのは人が良すぎたり、すぐ悪い人に遭ってカモられるタイプの人ということなのかもしれないですが、とにかく私は他者の生活感覚や、人間関係の出来方、性質、どんなことを考えているのか(心性という言葉がありますが、それに近いことだと思います)を知りたいと思う。もしかしたら、大学で社会学や歴史学、社会史を学ぼうと思っているのも、実はこの欲求から生まれたものなのかもしれません。

 

そういえば、分断や格差が話題になった時には、とくに私達灘校生は「自分は恵まれている」といいますね、そこから「なんとなく問題なんだろうけど、何をすればいいかわからない」という言葉がだいたい次に来るのですが、自分もそうなんです。でも、他人事では絶対にないのだろうから、絶対に生涯かけて関わらないといけないだろうことは思います。しかし本当にわからない。

 

「恵まれてる人」→「恵まれない人」に助けるといった図式ではいけないのだろうなとか、決めつけは良くないとかは思いつきます。そもそも何を持って恵まれるか、恵まれることと幸せは違うだろうし、そもそも自分がそんなに手を差し伸べる側であるという意識自体がおこがましいものです。自分がそんなに偉いはずもない。明日には自分が助けを求める側になっているかもしれない。(あでも、そう考えたらやはり社会の仕組みわ考えたほうがいいね、やばい時に自分が助かるかもしれないから。) そもそも場面や関係に関わらず、人が相手である時点でお互いを尊重すること、これが第一条件になるのだろうと思います。たとえ金がなくても私は幸せなのだと言う人に「かわいそう」などと声をかけるのはお門違いかもしれない。とすると、「助けを求める声を、できるだけ拾う」というのが最も良いことになるのだろうかと結論づけてしまうのですが、これはこれで不完全な気もします。とにかくどんなことをするのであれ、まずは知らなければならないだろうなと、改めて思うわけです。

 

たまには、なんやかんやで生きていけるのならば何でもいいと思うこともあります。いくら苦しくても、いくら幸せでも、夜は来るし日は昇るし、地球は回っている、生きてさえいればよいから、他人にわけのわからないことをしようというのもおかしいと思うこともあるのですが、うーん、たぶんこれは違う。よくわからんけど多分違う。多分このスタンスだと自分が満足できないからでしょうか、わかりません。

 

 

 

それで、コミュニティの話に戻すと、ちょっとした旅行先で、談話室みたいなところに入って現地の人と話すとか、散歩中にちょっと話している人達の話を聞くとか、すれ違ったときに軽く一言話すとか、そんな感じの地域のあり方もあって良くないですか。(なら田舎に行けや!という人もいそう、でも私の田舎のイメージすら正しいかわからない、結局私はほとんど何も社会を知らない。)

 

知りたくない人は知らなくても良い、知りたい人がお互いに知ることのできる、そんな空間が創られることを想像してしまいます。自分の悪い癖で、だいたい現実を知らないまま想像しすぎて、かけ離れた理想像が出来上がってしまう、ということもあるのですが、それを防ぐためにも、まずは知りたい。ある程度知ったら満足して、或いは疲れてしまって、逆にもうええわ、となってるかもしれません、それはそれで人生です。

 

この前散髪に行ったとき、理髪師さんと話したことがありました。

理「ここら辺にもイスラームの人るよね」

私「そうなんですか?実は直に見たことがなくて」

理「この前ジョギングに行ったら、黒いやつを被った人が太陽かなんかに向かって礼拝していたよ、ラマダーンっていうのかな、知らんけど。普段気づかないけどやっぱり居るんやね」

※ラマダーンは断食を指す言葉らしい、多分礼拝ではないです、私も詳しくは知りません

 

ちょっと理想主義的な感じはあるのですが、こう言った小さな会話が重なったら、自分も幸せになれ、社会にとっても、他の人を知る、という意味で良い影響が出るのかな、と期待しながら、大学では知りたいことをできるだけ知ろう、知らない世界を、生活の感覚を、社会を見れたらいいなと思います。