少し前の話になるが、2025年度の兵庫県大会で、また一つ魅力的な作品に出合えた。市立六甲アイランド高校の『わたしたちの話【栞】』だ。学校で日常的に行われているであろう何気ない会話の積み重ねで出来上がってるこの作品の魅力を改めて振り返ってみよう。
幕開きは4人の女子高生によるサス芝居。これは私の話で、あなたの話で、私たちの話ですと宣言する。誰にでも存在する何かを、意味のある言葉の謎の向こうに見つけてくださいねという言わば短い宣誓布告のように感じた。
お芝居に引き込まれていったのは次のシーン。学校の朝の日常風景である。どうでもいいことを楽し気に語る二人。正式名「英語コミュニケーションⅡ」とかの授業を何と略すかでワイワイする。
恵理 「結奈って」さー、
結奈 ん?
恵理 「英コミ?英コミュ?どっち派?」
結奈 何、急に。
恵理 ええから。
結奈 うーん、「英コミ。」
恵理 「マヂ?」
結奈 「マジ。」
恵理 …キモ。
結奈 ひどない?
楽しそうなのである。しかも「 」が付いたセリフだけで情報は伝わるのだが、余計な語尾、間、動作が盛り込まれていて、会話自体がリズミカルな言葉遊びになっている。横で眠りこけている別な女の子をバンバン叩いて起こしてまで同じ質問をするのだが、返ってきた答えはどちらでもなく
栞 …コミュ英かな。
間
結奈 バケモンきた。
恵理 いや、これが天才や。
栞 ほんまに何の話してんの
バケモンって…。そんな言葉選びする?ってワードセンスに笑っちゃう。終始こんな調子なのである。ほんまに何の話を見せられているのだろうと思うと同時に、いるいるこんな子らって楽しんでいる自分がいた。こんな楽しそうな姿は何時間でも見てられるわって気にさせられるのだ。と同時に、目の前で展開されている舞台が、まるで俯瞰で覗き見る学校の風景へと変化していくのを感じた。リアリティーってこんなにイキイキと輝くものなのだと気付かされる。
当然後半にかけて、物語は高校生ならではの心の揺れや葛藤にシフトしていくのだが、登場人物たちのリアリテー指数は下がることなく見事に駆け抜けて行った。彼女たちはみんな違っていて、可愛くて、生意気で、そしてそれぞれに輝いていた。作者はきっと切れ者で目つきの悪い生意気な女の子だろうって決めつけてたら、男子だったってのも小さな「え?」 よっぽど仲間を観察しているに決まっているのだ。
これは高校演劇である。手練れの女優さんが演じても、けして再現できないリアリティーの前では、手練れの顧問による完成度の高い作品でさえ作り物に見えてしまう。そんな魅力と怖さを持った作品であった。目の前で展開する舞台はまさに、高校生の今を生きる「わたしたちの話」であり、客席に座っている多くの今を生きる「わたしたちの話」だったのかも知れない。
この作品はクリスマスごろ開催される近畿大会でもう一度上演される。興味を持たれた方は是非、滋賀県の会場までお運びください。高校演劇は生ものですので、賞味期限にはお気を付けください(笑)。



