新Gon's_Bar

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ブログって何? 2004年10月より私生活から高校演劇に関することまで自由に書いてきた記事のアーカイブ。時折更新?

 去る1月24日に初めての県レベルでの「創作脚本講習会」が行われた。講師は籔、福田、五ノ井という兵庫の創作脚本顧問をはじめ、生徒創作で今まさに話題の作家生徒を召喚するという画期的企画。ゲスト含め約70名が御影高等学校清明会館に集まった。その中で異色の講師として登場したのが県立御影高等学校、久保心菜さんであった。


 彼女は近畿ブロック代表の生徒講評委員として、2025年夏に開催された「かがわ総文2025」に参加した生徒である。演題は「私が思うおもしろい台本、演劇とは~全国生徒講評委員の体験を踏まえて」というもの。こんなざっくりした演題で何を聞かせてもらえるだろうという疑問を一瞬で打ち砕く圧巻プレゼンに、当日参加した全員が舌を巻く結果となった。
 聞くところによると彼女は入学当初バレー部マネージャーであったが、演劇部顧問の熱心な?スカウトにより演劇部に入部し生徒講評へのエントリーを決意。県大会での熾烈な予選を潜り抜け近畿代表の椅子を手に入れた。彼女が選ばれた理由は的確な劇評以上に、他の講評委員の意見を受け止めたうえで、自分の意見も表現できるバランス感覚にあった。
 全国大会では充実した講評活動を体験したわけだが、一番の出会いは講評を担当した最優秀賞受賞作品、長野県松本美須々ヶ丘高等学校の「愛を語らない」との出会いであったのではないか。彼女はその経験から面白いお芝居のキーワードとしてリアルかどうかだと気付いたようだ。彼女は言う。リアルとは現実的という意味ではなく、“自分の”過去の経験や感情に通じる部分があるということだと。だから共感が生まれ「え、ばりおもろいやん…」につながると。
 彼女は作品がリアルかどうかを判断するキーワードとして「そうはならんやろ」と具現化した。不自然さ・都合の良さに対する観客からのツッコミが生まれた瞬間、観客は客席で「そうはならんやろ!」と突っ込むのだと。

 それでは彼女のプレゼンを振り返ってみよう

  1. 台詞【台詞<行為】
     長々と思いや境遇をセリフで説明するより、お芝居という手法を取る以上、シーンとして描く人物像が「そうはならんやろ」を回避する。
  2. 状況【リサーチ→詳細】
     記憶喪失や殺人事件など日常経験しない出来事は詳しく描くことは難しい。5W1H、時代背景など丁寧に描くことで「そうはならんやろ」を回避せよ。
  3. キャラクター【過去、今、未来=人生】
     都合よく場面によって人となりを変える登場人物には一貫した説得力は生まれえない。感情の起伏、流れ、問題、出来事に対する思いや行動を一貫させることで「そうはならんやろ」を回避せよ。
  4. 展開・結末【逆算】
     打ち切り漫画のように結末を急ぐ物語は破綻している。シーンは切り取りられた一部の場面であるが現実には必ず前後が存在する。それぞれのキャラクターの思いを途切れることなく描くことでラストに行き着く過程を丁寧にし、「そうはならんやろ」を回避せよ。

 バレー部のマネージャーとしてスタートした彼女であるが、まとめに際しこう伝えてくれた。「お芝居は奥が深くて面白い。お芝居と出会えて本当に良かったです」と。高校3年生である彼女は進路を決めたのち、後輩部員たちと母校の小品発表会に参加した。上演された3作品でそれぞれ、作・演出、照明オペレーター、役者として。僕は少し緊張し上気したその頬に「演劇と出会えてよかった」のリアルを見せてもらった気がした。

久保さんが生徒講評委員として担当した劇評はこちら。ご一読ください。
 長野県松本美須々ヶ丘高等学校 「愛を語らない」
 

 少し前の話になるが、2025年度の兵庫県大会で、また一つ魅力的な作品に出合えた。市立六甲アイランド高校の『わたしたちの話【栞】』だ。学校で日常的に行われているであろう何気ない会話の積み重ねで出来上がってるこの作品の魅力を改めて振り返ってみよう。
 幕開きは4人の女子高生によるサス芝居。これは私の話で、あなたの話で、私たちの話ですと宣言する。誰にでも存在する何かを、意味のある言葉の謎の向こうに見つけてくださいねという言わば短い宣誓布告のように感じた。

 お芝居に引き込まれていったのは次のシーン。学校の朝の日常風景である。どうでもいいことを楽し気に語る二人。正式名「英語コミュニケーションⅡ」とかの授業を何と略すかでワイワイする。

  恵理  「結奈って」さー、
  結奈  ん?
  恵理  「英コミ?英コミュ?どっち派?」
  結奈  何、急に。
  恵理  ええから。
  結奈  うーん、「英コミ。」
  恵理  「マヂ?」
  結奈  「マジ。」
  恵理  …キモ。
  結奈  ひどない?

 楽しそうなのである。しかも「 」が付いたセリフだけで情報は伝わるのだが、余計な語尾、間、動作が盛り込まれていて、会話自体がリズミカルな言葉遊びになっている。横で眠りこけている別な女の子をバンバン叩いて起こしてまで同じ質問をするのだが、返ってきた答えはどちらでもなく

  栞   …コミュ英かな。

   間

  結奈  バケモンきた。
  恵理  いや、これが天才や。
  栞   ほんまに何の話してんの

 バケモンって…。そんな言葉選びする?ってワードセンスに笑っちゃう。終始こんな調子なのである。ほんまに何の話を見せられているのだろうと思うと同時に、いるいるこんな子らって楽しんでいる自分がいた。こんな楽しそうな姿は何時間でも見てられるわって気にさせられるのだ。と同時に、目の前で展開されている舞台が、まるで俯瞰で覗き見る学校の風景へと変化していくのを感じた。リアリティーってこんなにイキイキと輝くものなのだと気付かされる。
 当然後半にかけて、物語は高校生ならではの心の揺れや葛藤にシフトしていくのだが、登場人物たちのリアリテー指数は下がることなく見事に駆け抜けて行った。彼女たちはみんな違っていて、可愛くて、生意気で、そしてそれぞれに輝いていた。作者はきっと切れ者で目つきの悪い生意気な女の子だろうって決めつけてたら、男子だったってのも小さな「え?」 よっぽど仲間を観察しているに決まっているのだ。
 これは高校演劇である。手練れの女優さんが演じても、けして再現できないリアリティーの前では、手練れの顧問による完成度の高い作品でさえ作り物に見えてしまう。そんな魅力と怖さを持った作品であった。目の前で展開する舞台はまさに、高校生の今を生きる「わたしたちの話」であり、客席に座っている多くの今を生きる「わたしたちの話」だったのかも知れない。
 この作品はクリスマスごろ開催される近畿大会でもう一度上演される。興味を持たれた方は是非、滋賀県の会場までお運びください。高校演劇は生ものですので、賞味期限にはお気を付けください(笑)。
 

「本公演には、在校生以外のキャストが出演しますので、審査対象外となります。」
 上演前アナウンスで告げられた一言は、高校演劇においてはある意味絶望的である。コンクールなので当然賞が決定され、上位校は上位大会へ進む。暗黙の了解として、最初から選ばれないと分かっている上演には望みがないのである。それでも…。
 幕が上がる。「ゾンビ部増殖版」と題されたその作品は、顧問の光武先生の顧問創作。不法に教室を占拠して活動する闇部活ゾンビ部をせん滅させるべく、生徒会役員たちが登場する。軽快なセリフのパスに、客席が引き込まれていく刹那、おどろおどろしい照明とBGMと共に3人のゾンビ部員が血まみれの衣装を着て現れた。だが観客は見逃さなかった。ゾンビ部部長、台本持っている…。

 そもそもこれはよほどのことである。主要キャストの一人が出演できない程の状況に陥っている。昨年の阪神大会でも、顧問の田中先生が高校生男子であるという設定の役を演じ切り幕を降ろした。暖かい客席の反応に部員たちも「ひょっとしたら優良賞ぐらいは」と淡い期待も持ったようだが現実は厳しかった。それがコンクールなのである。死ぬな、休むな、怪我するな。役者に代打無しなのである。
 それでも光武先生の熱演は続く。ゾンビ部部長は挫折したバレリーナであったという設定なのだが、それを変更せずダンスのシーンも乗り切った。部員たちは誰も舞台上にいる「在校生以外のキャスト」を、ここにいない仲間だと信じて演じ切った。観客ももはや、出オチだと感じた人はいなくなっていた。
 人生の失敗や悔しさを乗り越えていく逞しさを、死体を乗り越えて迫りくるゾンビとの二重構造で表したこの作品はまさに、彼ら彼女らが降りてくる緞帳の向こうで見せてくれた笑顔で具体化されていたのではないだろうか。けっして褒められた出来事ではなかったかもしれないが、僕は客席で大きな拍手を贈らざるを得なかった。

 

上演の様子は、11月30日(金)の神戸新聞明石版に掲載されています。ご覧ください。