こんにちは、池田です^ ^



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今回の記事は、人種差別について
アメリカ黒人教会のお話の続きになるので

もしまだ読んでいなかったら

アメリカ黒人教会①からどうぞ☆



前回の記事では

キリスト教は
黒人にとって外来宗教だったというお話をしました。


今回の記事では

キリスト教の特定の宗派が
反奴隷制を表明したあたりにふれていきます。




はい、では!

復習ですが
キリスト教がアメリカ大陸へ渡来した当初は

教会は黒人奴隷を救済しないという方針をとっていました。




それから時が流れ

奴隷制を反対するキリスト教宗派が現れました。


また
アフリカの宗教儀礼を取り入れたキリスト教礼拝が登場しました。


そんな感じで

「救済は社会的地位とは無関係」

つまり


「奴隷身分でも魂の救済をしますよ」

ということが唱えられたんです。



ずいぶん変わりましたねーーー



いやしかし、ちょっと待ってください、

「奴隷身分でも魂の救済がある」

とは言っていますが、
よく考えるとどういうことでしょうか?



奴隷身分に対する救済という考え方はできたんですよ。

奴隷身分に対する救済です。




そうなんですよ。




奴隷身分を
解放しようとしているわけではないのです。






変化は段階的に訪れるものといえばそうですし、

ひとつの変化が大きいとは思います。


きっとこの時代では
とても衝撃的な主張だったのだろうとも思います。

その当時の常識をひっくり返そうとしているということですから。


しかしこのときの制度自体を
ひっくり返してやろうとしているわけではないというのが

解せないかな...と思います。


この時代では、まだ
奴隷制度は必要と考えられていたんですかね?


(少し独り言をつぶやくと
これは現代の視点から過去を振り返った考え方なのかな...。)





とはいっても、
さっき少し言ったとおり

黒人奴隷と呼ばれていた人びとにとっては
大きな心の支えができたというのは
事実ではないでしょうか。


宗教とは元々こういうものなのかな、とも思います。


(こちらはできるだけ過去のその時点を考えて出した考察です。)




要は、どこに・どのように視点を置くかで
考察はいくらでもできると思います。


(私の独り言について「???」と思った方はお気軽にメッセージくださいw)




こうした歴史の事実を見てみて

「ああ、こんなことがあったんだ」

という小さな感動をしていただけたら

少しでも差別問題に関心をもってくれるんじゃないか、と

思っています。





アメリカ黒人教会についてはまだまだ続きますw

アメリカ黒人教会③




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