わたしには昔から劣等感がある。
自己肯定感の低さもある。
今日、仕事で電卓を叩いていたときにふと気がついた。
隣で仕事をする同僚より、自分の方が電卓を叩くのが早い?
のかどうか、さほど気にならなかった。
電卓やパソコンのタイピングの音は、私にとっては集中力を欠くことがあった。
私自身、電卓を叩くのは遅い方ではない。
しかし、もっと早く打ちたいと思う。
隣で電卓を叩く音が早い時、単純に相手の方が仕事がはやい。
作業内容的に、計算を間違えていないことを前提にすれば早く叩ける方がそれだけ早くこなしていることになる。
隣で電卓を早く叩く音が聞こえる、そのとき芽生えるのは、
「相手に負けたくない」という、
負けず嫌い的な、そんな可愛いものではない。
「遅い」=「自分は使えない人間」
早くしなきゃ……
早く……
職場で誰かに注意された訳でもないのに、
無意識にそう思ってしまう。
今日はよく寝たせいか、集中力があり、
いつもよりいくぶんか早かった。
意識しなくても早く打てていた。
最近、職場でよく一緒になる人がイライラしていた。
一緒に仕事をするのが嫌になっていた。
精神的にかなりダメージがあったので、他人の行動に気を取られないように気をつけていた。気を落とすと自分自身が楽しく過ごせないのだ、損をするだけだと言い聞かせ、仕事で多少自分に負担がかかっても、その人のイライラに飲み込まれないように気を付けていた。
昨日は、夜にたまたまYouTubeでお釈迦様の話を見た。
自分に対して罵詈雑言をぶつけてくる人へ、ひたすらになんの反応もしないお釈迦様は「相手に贈り物をしたとき、それを相手が受け取らなかったらどうなるか?」と尋ねる。相手が受け取らなければ、それは自分に返ってくる、という話だった。
集中力、他人の行動に気を取られないようにしようとする日々、お釈迦様の金言……
これらが重なり、この日の私はいつもの複雑な劣等感に苛まれることなく、
冷静に隣の電卓の音に耳を澄ませ、
自分が遅れることのないよう、良い意味で参考にすることができ、
結果、自分の計算も乱れることなく、
入社以来初めてじゃないかと思うほど集中しつつ達成感や充実感を覚えながら作業が出来たのです。
それに気づいた瞬間、いつもの焦りには劣等感が混じっていて、そして変なこと(遅い自分は使えない奴)を気にしなければ集中力はますます上がって、集中できるというたったそれだけのことでこんなに充実感を得ることが出来るのか………‼︎
と、感動にも似た心地になりました。

本当にいつも、余計なこと気にしてたんだなぁ……
余計なこと考えない人には「当たり前」の話なのかもしれないけれど、私には本当に目からウロコの出来事でした。
しかも……
この出来事が突然3つ重なっても、きっと気付かなかったと思うのです。
少しの間、意識する時間があって、ふとしたタイミングで3つが重なった。
「きっと意味があってイライラする出来事が私に起きているんだ

」
とかではなく、自分の「嫌だな」と感じる気持ちと正直に向き合って、具体的に対処したことも大きかった

自分が悪いとか、相手は本当は悪くないとか、これも経験とか、もういいやとか
そんなことは全部余計なことだった。
もっとシンプルに、目の前のこと、自分のことに集中

そして、自分の機嫌をとって楽しくいること、本当にそれが一番大事ーなんだと思った。