ナポリタンの起源については、横浜山下町にあるホテルニューグランド第2代総料理長・入江茂忠が最初に考案したとの記録が残っており[1]、現在ではこれが最も有力な説である。なお他説としては、第一次世界大戦に連合国側で参戦した日本が地中海に艦隊を派遣した際にイタリアに寄港してトマトベースのパスタを知ったという説や、大正時代には日本海軍において既に今のナポリタンと同様な料理が供食されていたとの説がある[2]。
ホテルニューグランドは、戦後まもなくGHQに接収され以後7年間米軍によって使用された。現在でも同ホテルにはマッカーサーが滞在していた部屋が残っている。当時の米軍ではスパゲティをトマトケチャップで和えた物が一般的な兵営食であるとともにレーション(缶詰の戦闘食)としても供給されており、同ホテル駐在の兵士たちも軽食や夜食としてよく食べていたという。そのため、接収解除後の同ホテル倉庫には、保存の利くスパゲティーの乾麺と瓶詰ケチャップが大量に残されていた。そこで料理長・入江は、当時の日本では珍しかった両者を組み合わせた料理を同ホテル再出発の看板にしようと思い立ち、後のナポリタンに当たるパスタ料理の開発に取り組んだとされる。
ただし入江が生み出したパスタ料理には、トマトケチャップは一切使われることなく[3]、トマトピューレなどの調味料や具材が加えられ、本格的な料理に仕上げられていた。もっとも当時の日本人はアルデンテに馴染みが無く、この点が試食会で不評だったため、入江は日本人の嗜好に合わせるべく7割方茹でたスパゲティを冷蔵庫に一晩置いてうどんのような食感にする調理法を編み出すに至った[4]。
かくしてこのパスタ料理は、かつてナポリでトマトソースのスパゲティーが屋台で人気だったことに因み「スパゲティナポリタン」と英語で命名され、同ホテルのメニューに載せられることになった。このスパゲティナポリタンはその後の大衆化したナポリタンと違いフランスのスパゲティ・アラ・ナポリターナに近い料理になっている。現在も同ホテルで提供されているナポリタンには、入江のレシピどおりトマトケチャップが一切使われておらず、一般的なナポリタンとは味の異なる、いわばトマトソースのスパゲティとなっている。
昭和30年代になると国産スパゲティーが開発された。そこで販売促進のデモンストレーション用に調理が比較的簡単なメニューとしてナポリタンが選ばれ、更に学校給食のメニューにも取り入れられるなどしたため、ナポリタンの知名度は急速にアップした。当時トマトピューレは庶民の手には入り難く庶民には肉も高価であったため、代用としてケチャップと安価な赤い色のウインナーや魚肉ソーセージ等を使う調理法が生みだされ、現在の一般的なナポリタンが確立された。このナポリタンの予め茹置きした麺をフライパンで味付けしながら炒め直しする調理法は簡便なことから、ナポリタンは給食以外にも家庭、喫茶店及び学食などの庶民的定番メニューとして親しまれて全国的に定着していった。また調理スペースが手狭な列車の食堂車や軽食堂などでは、同様の理由からレトルトの業務用ミートソースが開発されるまでスパゲティーといえば専らナポリタンが供食されていた。グルメブームないしイタリア料理ブームが起こる前[誰?]の日本において、スパゲティはミートソースまたはナポリタンの二択であった。

