【#43 Glided cage / Sep.17.0087】

「いつからだ?」
 ジャブローの、佐官用の執務室で、ラッキー・ブライトマン少佐が怪訝そうに尋ねる。
「ここ数日は特に。模擬戦の後は酷いです。」 
 地球連邦軍第22遊撃MS部隊のエースパイロット、キョウ・ミヤギ少尉は、青白い顔で応えた。現在就いているMS転科訓練生に対する教導任務の後、体調不良を覚えてメディカルルームに駆け込んだ。模擬戦の後、このところ毎回、解散後に戻していた。
「こういうことを聞くのも気が引けるが」
ブライトマンは、慎重に言葉と態度を選びながら続ける。
「産気づいている、とかではないよな。」
 ヘント・ミューラー少尉とのことを言っているのだろう。
「それはありません、日数的にも。メディカルチェックの結果でも、そう言ったことは。」
「そうか……言いにくいことを、言わせた。気を悪くしないでくれ。」
「……いえ、お気遣いと、理解しています。」
 認めたくはないが、PTSDと言うやつだろう。砂漠での死闘が、思った以上に自分の心に傷を残していたと言うことか。
「いつから……恐らくは、サラサールの時からでしょう。敵からの、突き刺すような殺意を感じ、一時的に行動不能に陥ったことを覚えています。」
「ニュータイプの感受性が、戦場ではそう働くこともあるか。」
 ミヤギ少尉は、その超感覚的な感受性でもって、姿の見えない敵機を察知し、撃墜した。集中すると、人間の存在そのもの、心の波長と言おうか、そう言うものを感じ取れる気がしたのだ。
「申し訳ありません。おそらく、自分は最前線で、敵と近接して戦うことは難しいと思います。」
 認めるのは悔しかった。口に出すと、目頭が、ぐっと熱くなる気がした。
「ただ……」
いつもはっきりと物を言うミヤギにしては、遠慮がちに口を開く。
「ヘント少尉が……傍に、いてくだされば……わたしは、戦えます。」

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 彼が、傍で自分の盾になってくれる、あの感覚。物理的に敵との間に立つ、と言うのではなく、自分の心をそっと包み込むような、あの共感。サラサールで危機に駆けつけてくれた時の、あの感覚だ。あの感覚があれば、自分はどんな過酷な戦場にも立てるはずだ。
「本当に、そうかな?」
いつの間にか、目の前のブライトマンの姿が、若い男に変わっていた。
「お前は、俺に、撃ち落とされかけたじゃないか。忘れたのか?」
 ジン・サナダだ。
 無理やり唇を奪われたあの時のような、狂気を帯びた虚な目つきだ。
「惨めだったな。ヘルメットの中に吐瀉物を撒き散らして」
ジン・サナダが、にじり寄ってくる。ミヤギは思わず後ずさった。
「動けなくなったときに、感じただろう?」
 やめて。
「俺の心が、お前の心に突き刺さり、お前の魂を引き裂くような、あの感覚。俺もお前も、ニュータイプだ。あれは、ニュータイプ同士の共鳴だ。」
 やめて。
「ヘント・ミューラーと、そういう、魂が響き合うような交流が持てるのか?あいつはニュータイプじゃない。」
 違う、彼に求めるのはそんなことではない。
「それに、あいつは、今、お前の傍にいないじゃないか。」
 やめろ。

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「どうするんだ?今、この瞬間、お前の心を、俺が引き裂いたら……」
 やめろ。
「お前は、今はおもちゃの鉄砲をかついだMSで飛び回るだけの、籠の中の小鳥だ。」
 やめろ。
「今この瞬間、もし俺がまた、お前に悪意をぶつけ、牙を剥いたら……今度こそ、なす術なく、ただ、壊されるだけだ。」
 やめろ、やめろ……
 やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ…………

やめろ!

 ヘント——助けて——助けてほしい。
 あなたは——いま——どこにいるの?
 あの時、言ったのに。
 危機が迫ったら俺を呼べと。
 今だ。
 あなたの助けが要るのは、今なのだ。
 ねえ、どうして?
 どうして傍にいてくれないの?
 ねえ、お願い。
 助けて、ヘント……!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「……最悪だ……。」
 久しぶりの悪夢だった。
 地球連邦軍T4教導大隊指揮下、第11広報アクロバットMS部隊”ブルーウイング"のMS隊長、キョウ・ミヤギ中尉は、最悪な気分で目を覚ました。起床時刻に合わせて仕上がるように、タイマーを仕掛けておいたコーヒーの香りも、今日の目覚めには全く良い効果を発揮しなかった。
 じっとりと全身を伝った冷たい汗が、悪夢の余韻を感じさせた。まずは、この嫌悪感を体から引き剥がしたい。ミヤギは、自室に備え付けられたシャワーの蛇口を捻った。
 砂漠での戦いと、続く、北米での戦いのPTSDによって、悪意渦巻く戦場で戦えなくなったことは、紛れもない事実だ。そういった自身の体質を慮ってくれた、ブライトマン中佐の尽力のおかげもあり、今の配属となった。ここなら、敵と相対して戦うことはない。
 U.C.0081の1月に、第22遊撃MS部隊が解隊されて6年半が経っていた。6年も最前線を離れ、殺意や悪意を避けていれば、さすがに悪夢を見る機会もずっと少なくなったはずが、こんな夢を見たのはたぶん、彼のいる新サイド5宙域に向かうことになったせいだろう。
 ティターンズと、エゥーゴの抗争が激化している。月に上がる予定は立ち消えとなり、"ブルーウイング"は、まだオデッサにいた。10月に催される、新サイド5の航空宇宙祭は、直接現地へ向かうこととなった。
 熱いシャワーを浴び、清潔な軍服に身を包んでも、まだ、頭はぼんやりとしたままだ。コーヒーをすすると、ようやく、少し思考が冴えてきた。
("どうして傍にいてくれないの"って……)
悪夢の中の、自分の言葉を思い返す。彼は、傍にいてくれようとしたではないか。それを断り、意地を張ったのは、自分の方だ。
(なんて、身勝手な……。)
 思考が回り始めると、そんなことを、考える。
 サイド3及び、新サイド5周辺宙域の警備・哨戒任務に当たる、EFMP。そこに所属する彼女の恋人、ヘント・ミューラーとは、第22遊撃MS部隊の解隊以来、今では離れ離れだ。ジャブローに、アフリカ、彼と過ごした約1年半、こうして、目覚めのコーヒーを口にするのは、もはや習慣と化していた。その習慣も、あんな夢見の後では、却って、胸に痛い。
 だが、習慣は、人を動かす。それが、愛する者と築いた営みならば、尚のこと、今日を生きる活力を呼び覚ますものだ。
 この間は、チタについ弱音を吐いた。だが、とにかく、今与えられた仕事に、全力で向き合う。それは、忘れてはいけないことだ。
 コーヒーを飲み終えると、ミヤギの顔は、もう"シングルモルトの戦乙女"に変わっていた。

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「本日のお加減は、いかがです。」
 コンパートメントを出て、MSハンガーに向かうと、ミヤギ専属の衛生兵、チタ・ハヤミ少尉が駆け寄ってくる。いつもの朝と同じだ。
「いつもどおりよ、悪くないわ。」
「嘘、顔色、良くないわ。」
 6年も一緒にいれば、嘘も一瞬で見抜かれる。
「悪くない、大丈夫。」
 もう一度繰り返すが、チタは引き下がらない。
「キョウは昔から嘘が下手なんだから。初めて会ったときだって、げーげーやりながら、”大丈夫”って……大丈夫じゃないときほど大丈夫って言うの、癖だって自覚ある?」
「うん、気づいている。」
 ミヤギは、苦笑しながら、もうそれ、あなたに何度言われたか分からないもの、と返答する。
「本当に、大丈夫だから。」
 否定を続けるミヤギに、チタは食い下がる。
「夢?いつもの?」
「そう、久しぶりに。」
「何が不安なの?彼に会えるのに、1年ぶりに。」
「2年ぶりよ。去年は都合がつかなかった。」
 ミヤギのいるアクロバット部隊"ブルーウイング"は、式典行事のMS展示飛行専門チームだ。
 毎年10月、新サイド5の航空宇宙祭で、展示飛行を行う。10月は、新サイド5の警備はEFMP第2部隊、つまり、ヘントのいる隊が務める。航空祭に向けた実地での事前訓練を含めた約1ヶ月は、新サイド5内もお祭りムードに華やぐが、二人にとっても年に1度のロマンチックな再会の期間となる。
 そうだ。彼に会えるのだ。彼と一緒なら、たとえ何かが起こっても、あの痛みに晒される恐れなどない。そもそも、単なる展示飛行だ。宇宙の治安も、ティターンズという強力な治安維持組織が守っている今、もともと中立コロニーの新サイド5は動乱とは全くの無縁だ。チタの言うとおり、悪夢に心を乱されるような、心配などはないのだ。
「キョウがこんなに大変なのを知っているなら、ヘント中尉もはやくしっかりしてあげれば良いのに!」
 隣でチタが鼻息を荒げるのも、この季節、いつもの光景だ。ミヤギは、自分こそが二人の決定的な前進を留めていることを、当然チタには話している。だが、チタにしてみれば、男ならそれでも強引に娶ってしまえと言いたいらしい。
「本当に、大丈夫。薬は飲んでいるし、訓練が終わったら、ちゃんとメディカルチェックは受けるから。」
 ミヤギは、涼やかな声で告げると、笑顔でハンガー内の更衣室へと入っていった。

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 7機の青いジムが、滑らかな機動で飛ぶ。一糸乱れぬ統制の取れた隊形を保つ様は、今日も完璧だった。
「今日の着地は過去一の柔らかさだったが、あれは俺のドダイの入り方のお陰だな。」
 機体から降りるや、アラン・ボーモント中尉がわざわざハンガーの出口と反対方向にいるミヤギの傍にやって来た。
「夕食のお誘いならお断りします。いつもどおり先約がありますので。」
「なら昼食だ。」
「それも、お断りします。」
「隊の仲間と親睦を深める気はないのか?」
「十分コミュニケーションは取っています。」
 あのなあ、と、アランは呆れながらも、楽しそうに微笑む。
「まだ2週間経っていない。どうしたんです?」
「別に、2週間おきにって、決めてるわけじゃない。」
ミヤギは、いい加減、うっとうしいと思い始める。
「君が寂しそうな顔をしているときに誘うって、決めてる。」
 ミヤギは、思わず動揺した。
 今朝の夢。
 そして、射撃ショーの提案があった日。
 共通しているのは、そうだ、いつも——
「大変恐縮ですが、あなたはただの同僚で、それ以上でもそれ以下でもない。これ以上しつこくされるのは、今後の任務に支障を来たします。そうは思いませんか。」
動揺を隠すように、いつも以上に事務的な口調で言い。自分の思考から"彼"の気配を消す。だが——
「そうだな。今日のところは降参するとしよう。守るも攻むるもクロガネの、か。さすがは"伝説のシングルモルト"。プライベートも難攻不落の鉄壁だな。」

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(攻め手は得意だが、守る戦は苦手だな、君は——。)
(降参だ、キョウ・ミヤギ。君を——……)
 消そうとした、"彼"の気配が、一気に蘇る。
 軍人として、男女の駆け引きにそういう言葉を使うのは、偶然だろうか。
 いつか、彼が、その大切な瞬間に、自分に対して使った言葉と、よく似た語彙が並んだことが、ミヤギの胸を揺さぶった。
 ミヤギは、動揺を悟られないよう、アランにしっかりと背を向けると、足早にハンガーを出た。

「何?どうしたの……!?」
 ハンガーの出口で待ち構えていた、チタ・ハヤミが、血相を変えて尋ねてきた。
「……何でもないっ、大丈夫……っ!」
 今にも泣き出しそうな顔でそれだけ言って、ミヤギはチタの横を通り過ぎる。
「ほら、また……!大丈夫じゃないよ、それ!」
「いいから!大丈夫!」
ロッカールームにも入らず、ミヤギは、ノーマルスーツのまま自分のコンパートメントに駆け込んだ。

(ヘント——!)
 ダメだ。
 朝の悪夢から、ずっと、彼のことを意識しどおしだ。
 はやく、宇宙にあがりたい。
 はやくサイド5に行きたい。
 こんなにも、心乱されるのなら、チタの言うとおり、つまらない意地など捨てて、彼の申し出を受けてしまえばいいのだ——。
(……どう、したら、いい……?)
 シングルモルトの戦乙女など、聞いて呆れる。
 今の自分は、年上の恋人に甘える、ただの小娘にすぎない。
 ミヤギは、そんな自分に腹が立った。20歳の頃なら、学生じゃないのだから、と笑い飛ばせた。しかし、もう自分もいい歳ではないか。だと言うのに、暴れだした心を、もう、制御できない。大人になれない。堪らず、嗚咽する。今は、その背中を撫でてくれる相手もいない……。
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【 To be continued...】