【#60 Toshikoshi-noodle / Dec.31.0079】


UC0079、12月31日
ジャブロー

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 キョウ・ミヤギ少尉は、愛機のガンキャノンをやや高地の密林に佇立させていた。すでに数時間が経っている。
 地上におけるジオン公国軍の戦力は、ほとんど掃討され、かつて”定期便”と呼ばれるほど頻繁に飛来していた敵の空爆も、もはや無い。宇宙での総力戦”星1号作戦”に向け、宇宙船ドックから艦艇を宇宙に頻繁に打ち上げていた頃は、成層圏外からの奇襲もあったが、それももうしばらく見ていない。宇宙でも、地球連邦軍の物量に押しに押され、ジオン公国はその最終防衛戦、宇宙要塞”ア・バオア・クー”での総力戦に臨んでいた。地球の軌道上は連邦軍に抑えられ、蟻の1匹も通れる隙間もない。ジオンには、宇宙からの空襲も、地上からの脱出も、もはやままならないのが現状だ。
 ミヤギは、もはや来るはずのない空襲に備え、その対空防御の一端を担うべく、ここに数時間待機しているのだ。もし、万が一、空から敵が飛来したならば、その超人的な狙撃でそれを撃ち落とす。仮に、彼女が失敗しても、十重二十重と張り巡らされたジャブローの対空砲火があるのだ。もはや、何のために出撃しているのかも分からない。
(だが——……。)
 モニターを見ると、陽が傾き始め、美しく染まり始めた空が見えた。遠くには、地球最古と言われる山の威容も見える。あと1時間もしないうちに日は沈み切るだろう。
(”マジックアワー”、か——……。)
 地球圏全域を巻き込むこの未曾有の戦乱の中で、このようなものをゆっくり堪能できる贅沢な状況は、悪くないと思えた。

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『食事です。』
 通信機のスピーカーに、明るく懐こい声が飛び込んできた。
 機体の足元に、ホバートラックが寄せて来ていた。モニターには、銃座からこちらに向かって手を振る小柄な衛生兵、チタ・ハヤミ曹長が見えた。ミヤギは、機体を屈ませると、ハッチを開ける。
 大晦日頃の南米は乾季で、温かく過ごしやすい。激しい戦闘も予想されないので、生真面目なミヤギでも、この"見張り番"にはノーマルスーツを着用しておらず、襟元も少し崩している。開けたハッチから入ってくる風は、幾分冷たく感じられた。巨大な山を背にする高地なので、昼夜の気温差はある。ミヤギはまくっていた袖をするすると下ろすと、降下用のワイヤーを掴んで地上に降りた。

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 地上に降りると、チタがランチバッグを持ってにこにことしている。こちらは、しっかりヘルメットと防弾チョッキを着込んでいる。空調は効いているだろうが、狭いホバートラックの中で、それだけ装備を着込んでいると暑かったのだろう、こめかみにはうっすら汗が浮かんでいた。
「一緒に食べましょうか。」
いつもは、バッグを受け取ってコクピットに戻るミヤギが、そんなことを言う。
「良いの?」
「ええ……良いわ、どうせ、敵なんて来ないのだし。」
 恋人のヘント・ミューラー少尉にすら、ほとんど敬語を崩さないミヤギが、最近はこのチタ・ハヤミにはこうして砕けた口調で話す。チタもチタで、年も階級も下だが、嫌味も気負いもなく、自然に応じるのだ。非番の日や、食事の時間が重複している時などは、何となくこうして一緒に過ごすことも多くなっていた。

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「まあ、そう言うと思いまして、今日はちょっと”トクベツ”なものをご用意してたんです。」
 良いの、などと聞きながら、チタは最初からその気だったらしい。
 うきうきとした顔で、ホバートラックの中から何かを持ち出してくる。
「ほら、みんなも一緒に!」
観測員のマーク・スミス曹長と、数人の兵士も降りてくる。
「やった、ミヤギ少尉と飯かあ!」
マークが浮ついた表情と声を浮かべる。
「……悪いのですが、マーク曹長は観測を続けていただいた方が……。」
ミヤギが申し訳なさそうに言う。
「さっき”敵なんて来ない”っていったの、少尉じゃないか!」
「万が一があるじゃない。ここは開けたままにしといてあげるから。」
みんなの顔も見えるでしょ、と、チタがフォローする。そう、そういうことだ。キャノンの火は入れっぱなしだ。観測してから乗り込んでも、大丈夫だろう。
「すみません。」
「良いよ、まあ仕事は仕事だしな。」
 ミヤギがマークに謝罪を述べる脇で、チタがなにやらテキパキと準備を進める。大きなコッフェルになみなみと水を注ぎ、少し大きめのバーナーで湯を沸かし始めた。
「……それで、”トクベツ”なもの、とは?」
「ちょっとお待ちを……えぇと。」
じゃーん、と、楽しそうにチタが言うと、灰色の、細いヌードルの束が入った容器を取り出した。
「あ、これ……。」
 ”ニホンジン”の血が流れるキョウ・ミヤギは、目を輝かせる。
「そう、”トシコシ・ヌードル”。まだちょっと時間は早いけど、今日は大晦日だしね。」
「なんだって?」
 ホバートラックの奥から、マークが不思議そうな声を出す。
「知らない?”ニホンジン”は大晦日の夜にこれを食べると、古から法律で決まってるのよ。」
「……法律では、ないと思いますけど。」
「そうだっけ?まあいいわ。」
 ランチバッグの中身は、細かく刻んだ具剤のようなものと、薄い茶色の皮に包まれたライスボールが並んでいた。
「”ヤクミ”と”オイナリ・サマ”ね。どれも”キッド”さんが用意してくれたわ。」
粋よねぇ、と、チタは微笑む。
「じゃあミヤギ少尉はそっちの鍋ね。こっちの鍋はジョージ軍曹。沸騰したらぽいっとヌードルを入れて、1分半くらい?よろしく!」
「コロニーの田舎の母ちゃんみたいだな。」
マークが冷やかす。
「まだ17の乙女にそういうこと言う!?」
家庭的って言ってください、と、チタが声をあげるのを見て、ミヤギは思わず微笑んだ。

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 気づくと、あたりはすっかり陽が落ちて暗くなっている。
 バーナーの火がうっすらと皆の顔を照らす。
「焚火でもあったら最高だけどね。」
 チタが、出来上がったヌードルをよそって皆に渡しながら言う。夜は、意外と冷えるのだ。
「いただくよ。」
マークもホバートラックの奥から言う。
「いただきます。」
 ミヤギも、軽く手を合わせて、一口すする。
 温かく、なめらかなのど越しが心と身体をゆったりと弛緩させる。
 敵は来ないものとタカを括っているものの、退屈な中でどこか緊張感のある任務に、肩が凝るような思いをしていたのだ。
「おいしい……。」
「それは、よかった。」
ミヤギの、魂の底から溢れ出たような声を聞き、チタも満足そうに微笑む。
「ミヤギ少尉は、ご存じです? ”トシコシ・ヌードル”の意味というか……。」
チタが訊ねるが、ミヤギは首を傾げる。が、すぐにハッと何かに気づいたような顔をして、微笑んだ。
「名前?"ニホンジン"然としてるから?」
「ええ。わたしもなんですけど、”ニホンジン”の血が入っているのが分かる名前でしょう?少尉もそうだし、知ってるかな、って。」
ちなみに、わたしは知りません、と、チタはなぜか得意げに言う。
「昔から家では年越しのときは食べていましたけど……。」
応えながら、ミヤギは確かに、特に考えたことはなかったなと思う。そして、不意に、彼の顔を思い出す。
「そういう地球の文化の蘊蓄は、ヘント少尉が得意だと思うわ。」

「……何だって……!?」
 だしぬけに、ホバートラックの奥からマーク曹長の声が響いた。
「何です……!?」
ミヤギは、油断なく立ち上がると、キャノンのコクピットから垂れ下がるワイヤーに向かおうとする。
「違う、良いんだ、少尉、敵じゃない。」
マークが、ホバートラックの中から、慌てて出てくる。
「撤収だ。基地に戻れって。」
「……何か、ありましたか?」
「たぶん、停戦だ。たった今、サイド6を通じて、両陣営に打診があった。まだ正式ではないようだが……。」
ミヤギ、チタと、マークと3人で、トラックの中で送信されてきたデータを覗き込む。
「ア・バオア・クーが陥ちた……?」
ミヤギが呟く。
「そうらしいな。」
「戦争が、終わる……?」
チタも呟くと、ズシンズシンと地を揺らしながら重い音が響いた。

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『マーク曹長、聞こえるか。』
第22遊撃MS部隊のMS隊長、ヘント・ミューラー少尉の声だ。チタが銃座からひょっこり顔を出して見ると、密林をかき分け、陸戦強襲型ガンダムとジム・ストライカーが並んでやってくるのが見えた。2機は、”万が一”の戦闘の際、ミヤギのガンキャノンを掩護できるよう、少し離れたところに展開して待機していたのだ。
『ミヤギ少尉も近くにいるか?機体の通信に応答がない。』
「すみません、機体を降りて食事を摂っていました。」
慌てて、ミヤギが応答する。
『なんだ、みんなで弁当広げてピクニックか。』
 ジム・ストライカーのパイロット、イギー・ドレイク少尉が得意の軽口を叩く。
「……そのとおりです、すみません。」
ミヤギが恥じらい、小声で応じる。
『良いんだ、どうせ、敵は来ない。』
ヘントが優しく言う。
『持ち場を離れおって、けしからんぞ、ミヤギクン!』
面白がってイギーは茶化してくる。
「”ジャパニーズ・トシコシ・ヌードル”をいただいておりました!少尉たちも、ぜひご一緒に!」
顔つきまで伝わるような”にこやかな”声で、チタがマイクに向かって言う。
「イギー少尉も”ニホンジン”の子孫仲間でしょう?」
『良いな。”キッド”の言う通りだ。』
ヘントの声で、ガンダムとジムもゆっくりと膝をついて屈んだ。

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「こんなにヌードルがあったのは……そういうことですか。」
 追加の麺を茹でながら、ミヤギが言う。ヘント曰く、基地からの通信で”キッド”から言われてきたらしい。
(チタ曹長に”トシコシ・ヌードル”を持たせました。外で茹でていると思いますので、せっかくですから、召しあがってから戻ってください。)

「どうぞ。」
ミヤギはよそったヌードルをヘントに差し出す。
「ありがとう。」
完全な停戦の締結は手続きが済んでいないが、どうやら、昼を回ったころにはもうア・バオア・クーが長く持たないことが分かっていたらしい。随時情報が走り、本当にたった今、18時、デギン公王から生前の密命に従い、ジオン公国のダルシア・バハロ首相は、ジオン公国を共和制に移行し、サイド6を通じて地球連邦政府へ終戦協定の締結を打診した。
「停戦の正式な締結は、明日中には済むだろう。戦争は、終わりだな。」
ヘントは、ヌードルを箸で摘み、ふうふうと息を吹きかけながら言う。

「なんだこりゃ、切れやすいな、このヌードル。」
イギーが、フォークで麺を巻き取ろうとして失敗し、ぼやいている。
「案外不器用ですね。」
チタが、器用に箸を使ってズルズルと音を立てる。
「召しあがったことはないですか?」
「ないな。先祖が”ニホンジン”って言っても、遥か昔の先祖だよ。」
「切れやすいということには、今年の災厄を断ち切るという意味がある。諸説はあるが。」
ヘントが会話に加わると、やはり!と、ミヤギが感心したように声をあげた。
「ヘント少尉なら、由来や意味もご存じだろうって、話していたところでした。」
 地球文化オタクだもんな、と、イギーが笑う。
「ご教示いただけますか?」
ミヤギが言うと、チタもぜひ!と元気に加勢する。
「では、僭越ながら……。」
少し、頬を赤らめてヘントが応じる。
「一番の特徴は、この形状だな。」 
 ヘントは、箸で、スッと麺を持ち上げて見せる。 
「細く、長く。健康で長生きできるように。」
「なるほど。」 
 言いながらイギーは、今度は慎重に、麺を口に運んだ。 
「イギー少尉にはピッタリですね。エマちゃんと奥様のところに、ちゃんと帰らないと。」
「エマちゃん!わたしも会いたいです!」
「じゃ、今度の休暇は一緒に少尉のお宅に……いいですね、イギー少尉?」
「おなごが2人揃うとかしましいな……。」
「少尉、そのおっしゃり方は……!」
「”旧世紀的"ね、ハイハイ。」
 2人のいつものやり取りを見て、ヘントは柔らかい笑みを浮かべると、自身もつるつると蕎麦をすすった。
「ちなみに、それを言うなら、3人だな。」
「うるせぇ!」
「俺はせっかくなら、太く短く、派手に生きたいかな。」
マークが軽い調子で言う。
「ダメよ!せっかくこんな戦いも生き延びたんだから、生きて帰るの。絶対に!」
チタが真剣な眼差しで言う。
「言ってみただけだよ。」
肩をすくめて見せるその表情はどこか嬉しそうだ。
 ミヤギは、器の中の黒い液体——出汁の効いたスープを眺める。

 細く、長く。

 MS乗りなどという、いつ死んでもおかしくない仕事を選んでおいて、それは高望みというものかもしれない。だが、この仲間たちと、この温かいスープを飲んでいると、不思議と、そうやって生きていけるような気がしてくる。

「こいつは、アレだな……お前らの得意なウイスキーより、"サケ"が合う。」
 燗した熱いヤツな、と、イギーが呻き始める。
「今夜あたりは、それも悪くないだろう。」
 ヘントは言って、すっと立ち上がった。鍋の中も、皆の容器の中ももうすっかり空になっている。
「よし、戻るか。」
今夜は飲んで騒ぐのも悪くない、と呟くと、朗々とした声で言う。
「総員、速やかに撤収。帰投する。」

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  機体を歩ませ始めると、基地のある西の方からドカンと派手な音がした。西の空が、けたたましい爆発音であふれると、強烈な光が何度も炸裂した。

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『気が早いな、こういうのは0000(ゼロゼロまるまる)にやるんじゃないのか?』
 イギーが楽しそうに言う。
『みんな、終わるのを待っていたのさ。』
帰りが遅くなるがと、呟いた後、ヘントからまた指示が飛ぶ。
『みんな、機体を止めてハッチを開けろ。』
せっかくなら、肉眼で見よう、と呼び掛ける。
 ミヤギはハッチが開ききる前に、シートから腰を浮かす。目を輝かせて空を見ると、わあ、と思わず声をあげた。
『お届け物でーす。』
茶化すような声が、ジム・ストライカーの外部スピーカーから聞こえたかと思うと、コクピットハッチの傍に、その巨大な掌がグンと迫った。上には、イギーからの”お届け物”、ヘントが乗っている。
「こっちだ。」
ハッチから身を乗り出していたミヤギの手を引く。
「危な……っ!」
思わず足をすくめたミヤギの体を強引にぐいっと引っ張ると、抱き締めるようにしてミヤギを抱きとめる。
「……ちょっと……!」
ひやりとしたのと、抱き締められている羞恥心とで、頬が赤くなる。
「すまん。だが、今日くらいはいいだろう。」
抱きしめる腕の力は、全く緩まる気配がない。

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「……まあ、いいですけど、別に……。」
 MSの装甲の、ひんやりとした感触と、自分を抱きしめる愛する男の、その温もりを感じていた。

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 戦争は終わった。
 だが、地上の各地にはまだジオンの残党勢力がくすぶっていると聞く。宇宙でも、ア・バオア・クーが陥ちたからと言って、はいそうですかと全ての戦闘が終結するとは思えない。
 自分自身の、心と身体のこともある。
 不安がない、と言えば嘘になる。
 だが、どうしても——、と、ミヤギは思う。
 過去が往き、また、新たな未来がやってくるこの日、この時に、時代の節目がやってきた。この奇跡とも言うべき瞬間に、胸に希望の火が灯るのは、きっと、誰にも、止められない。
 去り行く年に、去り行く者たちの旅路の安らかなることを、そして、生きてこれからの未来を歩む自分たちの行く末に、幸多からんことを、ヘントの腕の中、ミヤギはそっと、星に祈った。

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【#60 Toshikoshi-noodle / Dec.31.0079 fin.】

MS戦記異聞シャドウファントム 4.1部
「乾杯、生き抜いた者たちへ」・完