【#34 The battlefield of madness / Dec.8.0079】

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「意外と広いね。」
 コクピットシートの後ろの、わずかな隙間に身を縮こめ、カルアが言った。念の為、ノーマルスーツを着せられてはいるが、手足はもちろん拘束されている。 
 レッドウォーリアのコクピットは、視界が前方にドーム状に広く、コクピットシートの後ろにも、人一人が潜り込める程度の余裕がある。コアブロックシステムはオミットされているものの、次世代機用コクピットモニターへの移行に向けた技術が取り入れられている。
『準備はできたな?』
 出撃前のハンガーで、ジン・サナダ曹長といつものように個人通話に興じるべく、トニー・ローズ曹長が回線を開いた。
『一か八か、なんて言ってもさ。お前の腕とその機体の性能なら、どんな敵が来てもイチコロだろう。』
「どうかな、カルアが一緒に乗っているから、いつものようにはいかないかも知れない。」
『惚気るな、そんないい女とタンデムなんて、てめえだけいい思いしやがって。』
 トニーの声はあからさまに敵意を含んでいる。トニーの人生の目標の一つが、顔かスタイルのいい女と寝ることであるのは、これまでの彼とのやり取りからも明白だ。カルアはそのどちらも満たしている。つい数日前まで、キョウ・ミヤギの男に向けられていた感情の矛先が、自分に向いているとジンは感じた。
「不快に思わせてすまないな。戦いが終わって落ち着いたら、ルナ2でオペレーターをやっていた娘を紹介するよ。たぶんお前の好みのタイプだ。」
ジンは、適当なことを言ったが、トニーは、忘れるなよ、と念を押して、機体をトレーラーに乗せた。声色から機嫌を直したように感じられた。
「カルア、大丈夫か?」
 シートの後ろ側に首を伸ばし、ジンは、恋人を労うような優しい声を出した。トニーに聞かれると面倒なので、こちらからの回線は一度切っている。カルアの前では、彼女を思いやる心優しい恋人に擬態するのが、ジンの新たな習慣となった。
「平気。あなたと一緒にいられるなら。」
カルアも、陶酔した表情と声で応える。こいつのニュータイプ能力は本物だと思う。ジンの本心も、とっくに見抜いているはずだが、彼女もまるで舞台劇でも演じる女優かのように、恋する乙女になりきっている。
「ねえ、ルナ2の女って、何?」
 カルアは膨れつらを作る。
「何って、ここにくる前の同僚だよ。何度か食事をした。」
「ふーん……そいつ、ジンに気があるんだ。」
「どうかな。誘ってきたのは確かにどちらも向こうだったけど。」
「気がなきゃ誘わないよ。ハンター気取りで、ワンチャン狙いの男たちと、女は違う。」
カルアのような境遇でも、こんな普通の発想ができることが、ジンには驚きだった。
「安心してくれていいよ。カルア以外に興味はない。」
「今はね。前はどうかなんて分かんないよ。」
困ったな、と、苦笑いを浮かべてみせると、自分たちが本当に、普通の学生のカップルかのように思えてくる。カルアを調略するために始めたこの新たな擬態は、思いの外ジンに楽しさを感じさていた。
「なら試しに俺の心を覗いてみればいいさ。君なら全部、分かってしまうんだろう?」
「しないよ。せっかくお互い楽しんでるんだから、もう少し、続けよう。こういうの。」
 やはり、ジンの態度が”擬態”に過ぎないことは見抜かれている。
 ねえ、とカルアが猫撫で声を出す。振り向くと、瞳を閉じている。ジンは、ヘルメットを脱ぎ、そっと口接けてやった。
 後頭部がしびれるような快感を味わいながら、どちらが相手の思惑に付き合っているのか、分からなくなってきている自分に気づく。”デューク”の言うとおり、この女に絆されてしまっているのかもしれない。
「あ……来る。」
 唇を離すと、うっとりとした目つきのまま、カルアが呟く。3秒後、斥候が敵の進軍開始を確認したと、通信が入る。
 情報が来るよりも、カルアの察知の方が早い。やはり、本物だ。
 今回は、陸路で迎え撃つ。G13部隊に加えて、増援で合流したジムも1個中隊を引き連れる。敵も動員できる戦力は、せいぜいMS中隊1個程度らしい。数が同じなら、武器の性能の分、こちらの戦力は実質の倍がけだ。負けることは、まずあるまい。
 ジンは、ヘルメットを被り直すと、一度、カルアの存在を思考から消し去った。
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 『……ジン・サナダは、危険だ。』
 "デューク"こと、クリント・トーゴ少尉からの個人通話に、ケーン・ディッパー中尉も同意する。
「ああ、互いの狂気に、当てられているな、二人とも。」
『不審があれば、撃つぞ、俺は。』
"デューク"なら、それが出来るだろう。
「そうならないことを願おう。それに、敵にも手練がいる。」
まずは、目の前の敵に集中しろ、と言う意味のことを言ったつもりだった。だが、"デューク"の懸念は分かる。獅子心中の虫、というか、ジンの狂気と、この作戦提案は、どう考えても正常ではない。
 だが、コヴ少佐だ。
 事務処理は遅く、積極的に兵と交わる気質でもない。現場からの信頼は薄く、上層部からも仕事のできないお荷物扱いだが、戦争では生き生きする男なのだ。抜群に冴える勘で、大胆な作戦を成功させてきた。その男が、ギラつく眼光を見せたことが、ジンの提案に賛成させるだけの非合理的な確信をケーンに持たせた。
(俺も、この戦場の毒気に当てられている……。)
そう考えた直後、
(大丈夫。その狂気に身を委ねればいい……。)
カルアの、少女のような、無邪気な声が頭に響いた気がした。
 ケーンは、僅かに目眩を感じた。
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 どうやら、敵はカルアを前線に連れて来るらしい。グレンの赤いザクが狙いで、カルアを餌におびき出すつものようだと、敵に潜入中のスパイから、情報が入る。いや、グレンという英雄気取りの男の性格を見抜いて、あちらから故意に流された情報ではなかろうかと、アイザック・クラーク中尉は思った。だとしたら、カルアが喋った。こちらの情報は、どこまで伝わっているだろうか。
「やはり、わたしは神に選ばれた英雄だな。向こうから、おとぎ話の悪役を買って出てくれるとは。」
情報を聞いたグレンは嬉しそうに言うが、カルアを乗せて前線に出てくるのは、例の”赤鬼”だと言うではないか。
「あんたの腕じゃ、あいつは落とせないでしょうが。」
 アイザックが吐き捨てるように言ってから、グレンの前を通り過ぎていく。昨日、テキサスの荒野で拾ってきた新型MS、MS-14ゲルググには、アイザックが乗ることになった。”赤鬼”にとどめを刺すとすれば、自分がその役目を担うことになるだろう。

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(さて、俺の腕と、こいつの性能で、どこまで食い下がれるかな。)
 ハンガーから機体を出し、地表を少し滑らせてみる。ザクやグフのように、歩行主体の機動だが、下半身各所に設置されたバーニアをふかせば、ホバーの真似事もできそうだ。俺好みだ、と思った。これなら、少しはやれるか、と思った矢先、先日自分の目で見た”赤鬼”の猛威を思い返す。
(彼ならちゃんと殺してくれるわ。あなたが望ように、死力を出し尽くした戦いの果てに。)
同時に、カルアの熱っぽい囁きも蘇る。
 これなら少しはやれる、だと?本当か?と、先ほどの自分自身の内省を思い返す。
 ビームもある。
 機動力も申し分ない。
 だが、本当に、それで、あのバケモノに太刀打ちできるのか。
 アイツの戦い方には、機体性能やパイロットの技量以上の、不気味なプレッシャーを感じた。機体そのものなのか、パイロットになのか、とにかく"赤鬼"には何かがある。そう、まるで、夢うつつに狂気を囁くカルアのような不気味さだ。
(”赤鬼”の中に、あいつがいるだと?)
 ふと、これから向かう戦場のことを思う。
 なんだそれは。
(バケモノが、バケモノを抱き込んで、俺たちを待ち受けている……?)
 最後にカルアと話した時の、あの虚げで妖艶な声が、頭をよぎる。おとぎ話の"オーガー"のような獰猛なバケモノを、怪しげな魔女が操る様を、アイザックは想像する。根拠はないが、どうにも、この訳のわからない戦況は、カルアの意志のようなものが働いて、ねじ曲げられ、歪められているような気がするのだ。
「ゾッとしねぇ話だな……。」
 本当に、一刻も早く、こんなところから抜け出したい。誰か、俺を宇宙に帰してくれ。

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 全軍に、出動の号令がかかる。赤いザクを先頭に、巨人たちが列をなして荒野を進む。こいつらは、一体何を思って死地へ向かうというのか。いや、それは、俺も同じだ。アイザックは、自分ももうとっくに壊れているということを自覚してしまった。
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【 To be continued...】