【#32 Lovesickness and madness / Dec.5.0079】

「少佐には危険なお役目をお願いすることになりますが、よろしいですね。」
ハンガーに駐機中の、機体の足許で、ウォルフガング・クリンガー大尉が集まったパイロットたちを前に言う。ジオン公国軍グレン・G・モーレン少佐相当官は、無論だ、と応じた。やはり、ノーマルスーツは着用していない。
敵が、赤いザクを目標にしている。
ウォルフガング大尉の情報網が掴んだ敵の動向に、そういった情報があった。グレンのザクを囮に、敵の主力を引っ張り出して迎え撃ちにする。そのために、グレンのザクの存在を知らしめるべく、目立つところを飛び回らせる。
「迎え撃ちに、と言っても、我々の火力で可能なんですか。」
アイザック・クラーク中尉が口にする疑問。敵のMSは新型の装甲材を用いており、ザクの標準装備マシンガンでは歯が立たないという。ジオンでは、MSの携行に耐えうるビーム兵器の実装もまだ出来ていない。迎え撃とうにも、火力が心許ない。
「それには、秘策がある。」
妙に自信ありげに、グレンが言う。
「今日は、おそらく敵と接触しても、早々に引き上げることになるだろうが、数日待てば、必ずや。」
この素人は、何を言っていやがる、とアイザックは苛立った。秘策と言うものは、作戦の中核を為すもので、その完遂のために兵たちは命を懸けるのだ。そんなものがあるなら、はっきりと、明確に説明すべきだ。
「数日も待てませんよ。」
「待つんだよ、少佐の言うとおりなんだ。」
ウォルフガングもグレンに口添えする。
「明日には、行けますか。」
「分からんが、急がせよう。」
もったいぶりやがって、と、アイザックはますます苛立ちを募らせる。お前も含めて、いつ死ぬか分からんと言うことが、理解できないのか。
「連中の十八番はおそらく夜襲だ。」
実質的な指揮官である、ウォルフガングが作戦の確認を始める。
「幸い、現在我々のいる拠点は、後方の拠点との連携を前提とした二段構えの配置になっている。この後、我々グレン隊を含めて中隊2個を、後方の拠点に後退させる。」
おそらく夜半に、前衛の拠点に夜襲が掛かるはずだ。夜襲の第1撃を、拠点に残った部隊が持ち堪える。そこに、後退していた部隊が増援として奇襲を掛け、挟撃の形を取る。
(無理だ。あの”赤鬼”が出てきたら、あっという間に殲滅される。)
結局は、第2撃を担当する自分達との正面衝突になる、と、アイザックは冷静に分析した。
(とにかく、逃げられる前に追いつくさ。)
敵は空挺奇襲部隊だ。目標を片付ければ、鮮やかに退く。そこに間に合うかが、この作戦の要だろう。

「自分を前衛の拠点に残していただけますか。」
作戦打合せでは、と言うか、普段から滅多に口を開かないカルア・ヘイズ軍曹が、ぼそりと呟く。あまり喋らないせいか、声帯が退化しかけているのかというようなか細い声のようだが、妙にはっきりと、皆の耳に響いた。
「なんだと?」
最も分かりやすく動揺の声を上げたのは、彼女を"お気に入り"扱いしているウォルフガングだった。
「敵が手強いのなら、せめて自分かアイザック中尉が前衛にいなければ、後衛部隊が合流する前に全滅します。敵が引き上げたところに合流しても、何の意味もありません。」
「駄目だ。お前とアイザックは、我が隊のエースだ。後衛の奇襲はお前たちがいて始めて成功する。」
どちらの言うことももっともだが、ウォルフガングの場合、カルアを自分の傍から離したくないという、稚拙な欲求が見える。アイザックはフン、と嗤(わら)った。
カルアはなおも続ける。
「でも、今日決着をつけるのではないでしょう?秘策とやらが到着しなければ、勝てないのなら、場合によっては合流前に引き上げることもあり得るのでは?」
「下士官ごときが、作戦の核心に口出しするな!」
普段は作戦でも私室でも、人形のように従順な"お気に入り"が、妙に食い下がることに苛立ち、ウォルフガングは声を荒げる。
「いいや、賛成ですね。この間も、助かったのは軍曹の判断のおかげだ。例の"赤鬼"が見えた途端に、退けと、なあ?」
アイザックがカルアに加勢する。軍曹はニュータイプかもしれないですよ、とも付け加える。
「軍曹が拠点の連中みんなを指揮するのは難しいと思いますが、ジョッシュ少尉あたりを指揮官に立ててやれば、まあ、格好はつくでしょう。」
どうだ、と、名指しされた少尉に声を掛けると、光栄です!と元気な返事が返ってきた。
「決まりでしょう、ねえ、少佐。」
アイザックは、ウォルフガングを無視して、グレンに詰め寄ると、ニヤリと笑った。
「気に入ったよ、中尉。」
グレンも、貴公子然とした美しい笑顔を浮かべ、許可しよう、と応じた。
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『ありがとうございます、中尉。』
機体に乗り込むと、カルアが個人通話でアイザックに礼を述べた。
「何の礼だ。どう考えてもお前の具申が正しい。正直に言ってこの戦線はクソだ。命を懸ける理由がどこにもない。」
アイザックはぶっきらぼうに応える。カルアは、しばらく沈黙した後、現状にそぐわない明るい声で続けた。
『わたし、彼に会いたくて。』
「……あ?」
はにかみながら、つとつとと話す、その少女のような声を聞き、アイザックは思わず不審の声をあげた。まるで、コクピットの中で浮かべている柔らかな微笑みが見えるようだった。
『連邦のガンダム、例の"赤鬼"です。あなたは、感じなかったの?』
カルアは、うっとりとした顔でアイザックに問い掛ける。アイザックにはその顔色までは見えなかったが、異様な艶っぽさを帯びたその声に、思わずゾッとした。

『わたし、たぶん、生まれて初めて恋をしたの。前の戦いで、"赤鬼"のパイロットの存在を、はっきり感じたわ……ねえ、アイザック、あなたも、もう、どう死ぬかしか考えていないのでしょう。』
ここはバーや寝室じゃない。そんな猫撫で声を出して、こいつは、一体何を言っているんだ。
『彼ならちゃんと殺してくれるわ。あなたが望ように、死力を出し尽くした戦いの果てに。わたしが望むように、跡形もなく、粉々に壊して。わたしたちを、このくだらない戦場ごと。』

素敵でしょう?と、言うカルアの囁きに、アイザックは応えなかった。
どうやら、ここにはまともな人間は、自分しかいないらしい。
陽動のために、グレンのザクが出撃する。アイザックはその掩護のために、機体を走らせた。
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【To be continued...】