うちでは宅配牛乳をとっているんですが、
今日届いた牛乳と一緒に
「東北地方太平洋地震に伴う宅配商品の代替配達のお詫び」
というチラシが入ってました。
みると
「生産工場並びに原料、資材メーカーの大きな被害のため、商品が製造できなくなったので、代替商品を配達します」
という案内でした。
日頃 加工食品の場合 どこで製造されているのか どこの原料かまで よく分からないのですが、
こういうとき そうだったんだって分かるんですよね。
いろんな場所から おいしい牛乳や乳製品の原材料が供給されているんですね。
おかげさまですね
そこで、
私は 実家が熱心な浄土真宗で、私自身も子どもの頃からお経を詠んでましたので、
仏教用語としての「おかげさま」に関する記事があったので、転載します。
「おかげさま」
この言葉もよく使われておりますが、文字通り陰の力、即ち目にはっきり見えない力ということであります。
私たちは生きて行く上で実に様々なご縁や支えによってはじめて生きることが出来ます。
はっきりと目に見えることでは家族や同僚、周囲の人々や諸々の物の力を蒙っておることは申すまでもありません。しかしそれらは氷山の一角と言えるほどわずかなことであります。
私たちの生命を保つための食物にしても、それを生産している人々のことはほとんどわかりません。それらを運ぶ人々や国のことも知り得ません。また私たちを寒暖から守る衣類にしても、自分が働いたお金で買ったのだと言うかも知れませんが、そこに至るまでの道のりはわかりません。
ほんとうに目に見えないところで働いている人や限りない物の力や支えによって生きることが出来るのであると痛感させられます。
そればかりではなく、私たちが生存に不可欠な大地、水、空気等々の大自然の恵みなくしては一日たりとも生きることはできません。
更に私たちには人類発生以来綿々と続いている目に見えないいのちがあり、これは先祖代々のお陰をいただいておることになります。
そして心の支えとなる諸仏諸菩薩の大威力を蒙っております。つまり私たちがいま生きていられるのは、一人一人がピラミッドの最頂点にいるようなもので、その裾野は限りなく広く深い底辺を持っていると申せます。
そのほとんどすべては陰の力であると受け止めれば、自(おの)ずから人や物に対する見方、考え方が仏法で説く報恩謝徳の精神に立脚し生きる方向が定まると思います。
報恩謝徳 意味 受けためぐみや恩に対してむくいようと、感謝の気持を持つこと。
今日届いた牛乳と一緒に
「東北地方太平洋地震に伴う宅配商品の代替配達のお詫び」
というチラシが入ってました。
みると
「生産工場並びに原料、資材メーカーの大きな被害のため、商品が製造できなくなったので、代替商品を配達します」
という案内でした。
日頃 加工食品の場合 どこで製造されているのか どこの原料かまで よく分からないのですが、
こういうとき そうだったんだって分かるんですよね。
いろんな場所から おいしい牛乳や乳製品の原材料が供給されているんですね。
おかげさまですね
そこで、
私は 実家が熱心な浄土真宗で、私自身も子どもの頃からお経を詠んでましたので、
仏教用語としての「おかげさま」に関する記事があったので、転載します。
「おかげさま」
この言葉もよく使われておりますが、文字通り陰の力、即ち目にはっきり見えない力ということであります。
私たちは生きて行く上で実に様々なご縁や支えによってはじめて生きることが出来ます。
はっきりと目に見えることでは家族や同僚、周囲の人々や諸々の物の力を蒙っておることは申すまでもありません。しかしそれらは氷山の一角と言えるほどわずかなことであります。
私たちの生命を保つための食物にしても、それを生産している人々のことはほとんどわかりません。それらを運ぶ人々や国のことも知り得ません。また私たちを寒暖から守る衣類にしても、自分が働いたお金で買ったのだと言うかも知れませんが、そこに至るまでの道のりはわかりません。
ほんとうに目に見えないところで働いている人や限りない物の力や支えによって生きることが出来るのであると痛感させられます。
そればかりではなく、私たちが生存に不可欠な大地、水、空気等々の大自然の恵みなくしては一日たりとも生きることはできません。
更に私たちには人類発生以来綿々と続いている目に見えないいのちがあり、これは先祖代々のお陰をいただいておることになります。
そして心の支えとなる諸仏諸菩薩の大威力を蒙っております。つまり私たちがいま生きていられるのは、一人一人がピラミッドの最頂点にいるようなもので、その裾野は限りなく広く深い底辺を持っていると申せます。
そのほとんどすべては陰の力であると受け止めれば、自(おの)ずから人や物に対する見方、考え方が仏法で説く報恩謝徳の精神に立脚し生きる方向が定まると思います。
報恩謝徳 意味 受けためぐみや恩に対してむくいようと、感謝の気持を持つこと。