集団就職列車が走った時代 | オトコ時々おんな

上京の夢膨らんで

 

 

当時は急行列車しかなかった

 

まだ寝台車がない頃

中卒は金の卵ともてはやされた

急行「雲仙・西海」で集団就職列車が走った時代

 

太平洋ベルト地帯へ

女子は中京地区の紡績工場、男子は関西・関東組に分かれ

板前修業や板金工場に、人手不足の時代だった

山田太郎の「ああ~上野駅」は当時を象徴する流行歌だった

九州から東京まで丸一日かかった

 

通路で新聞紙を敷いて寝る姿もあった