昭和19年、空襲を受け街の大半は破壊された
焼け野が原の市街地
(奥に三浦教会が見える)
大きいビルはほとんどなかった
(道路奥が市役所)
旧九州相互銀行本店
後に親和銀行と合併
母の実家(旅館)があった
松浦町国際通り界隈
キャバレー全盛時代
街に米兵やその家族が溢れていた
肖像画を描く店、やたら写真館が多かった
朝鮮動乱、戦前の当時の人口は30万を超えた
(九州で第四位)
昭和40年、市役所本庁舎が建て替えられた
平坦地が少なく急傾斜地や駅前周辺にマンションが急増
現在に至る
旧海軍凱旋記念館が日本遺産に
(以前は米軍のCPビル・元町)