ミミズの鳴き声に桜、入学式の親子、そして春の雨。この2日間で様々な光景を見て、温度を感じ、音を聴いた。


音の思い出は毎年、過去の光景を思い出させてくれる。匂いというのも似た感覚だ。

少し暑くなるとミミズが鳴き出す。昔、あの音は何かの昆虫の鳴き声だと思っていた。

何があったというわけではないけど、なんか季節を感じる音で学生時代の思い出なのか、恋愛の思い出なのか、子供との思い出なのかわからないがあの鳴き声を聞くと「今年ももうそういう時期か」と思いを馳せる。なんか夜にあの音を聴くと幸せな気分になる。今年は4/7の夜に聴いた。

そして4/8は入学式。次男が入学式だったけど、こういう行事に私が呼ばれる事はない。元妻からは「普段面倒をみていない人が都合よくそういう時に来るのはズルい」と言われている。これは離婚前にも似たような事は散々言われていた。

女性のこの手の言葉には昔から悩まされている。本心として受け取るべきか?遠回しの何かのサインなのか?自分には到底理解できる頭を持ち合わせていないが、いつもストレートに受け取る。

街中を車で走ると入学式を終え親子が幸せそうに帰宅している。そんな光景を横目に見ながら次男はどんな入学式だったのだろうか?と考える。

物理的に一緒に居れないのであれば心が繋がる。そのように捉える。私が参加したからといって次男の人生が変わるわけではないし、少なくとも母親がついているわけだ。悲しい側面はあるが、父親が居ない事が当たり前になってくれるのは私の本望だと思う。幼い頃から甘やかす気はない。事実、横目に見た小学一年生は帰りのランドセルを親が持っている。明日からはひとりランドセルを背負って通学するわけだからね。父親が側に居ない事が自立心を加速させるに違いないと信じている。息子たちはすでに強くなったと思う。何せ都合良く欲しいものをねだる時しか連絡してこないからそういう図太さが俺は好きだ。小学校でも図太く生活してほしいと願う。

4/9は家族と関わりのある家の大物の処分を実行。庭で使っていた鉄の棒や自転車一台、新調した事で廃棄となる旧風呂の扉など。

思い出を残したい気もあるがこちらもひとり前へ進まなければならない。

思い出は他にもある。一番は今住むこの家がある。そして心の中に刻まれている。だから思い切って処分した。

離婚してからまだ数回しか会ってないけどそれでも親子って何も変わらないんだよ。日々の生活には関わらないけどよそよそしくなる事も今の所無いし。

だからこそ前へ進めるのかもね。