娘がコロナになり回復に時間がかかっている。

詳細を聞いてみたが、重症化しているというわけではないようだ。ただ体力はどんどん低下している様子。元々風邪でも回復に時間がかかる子だったから不安な気持ちを抑えつつ本人が過度に心配にならないように振る舞っている。

そして今一度ワクチン接種について考える。

私も娘もワクチン接種していない。

私の考えはワクチン肯定派だ。しかし未接種。

その理論を話したい。

元々コロナが流行り始め、第一回の接種は受ける気でいて接種会場を探したがいっぱいで受けられずにいたのだ。

元々私は肯定派で元妻は否定派。子供の定期接種もほとんど受けさせていない。婚姻時はそんな事で喧嘩も散々したしそういう所が離婚の原因という部分もあるけど、確率では接種した方が安全なのは理論的に一目瞭然。ただ、水銀中毒等で死亡例があるのもまた事実。我が子がその低い確率に該当しないとも限らない。そして接種には同意書がある。肯定派でもその重みは感じていた。

話を戻すと私のコロナのワクチン接種は予約できずにいた時、社内で予防接種後にコロナに感染し亡くなった方が出たのだ。因果関係は誰にもわからない。調べようが無い。接種前に感染して症状が出ていなかっただけかもしれない。けど少なくとも接種後の副反応と思われる体調不良から陽性反応となり重症化し亡くなったのだ。

それを聞いた時に直感で思った事は「接種後に感染して死ぬよりは自然感染して死んだ方が納得できる」と思った事。

当時は未接種で感染して医療機関のベッドを浪費する事が世間的に無責任という風潮もあったけど、それを上回る想いが自分の中に芽生えていた。

そして決断というのはこういう事なんだと思っている。それからはワクチンの話になると誇りを持って未接種という事を話すようになった。たとえその意思を否定されたとしても曲がる事は無かったしその判断については完全に自由だ。

接種しない意思を話すと実は俺も私もとかなりの人が未接種という事もわかった。

確率的には接種した方が良いに決まっている。ただ接種したから罹らないという事もなく症状が軽いという事もない。現に私が罹った時は他の人よりは症状が軽かった。そのような事実もあり予防接種の類は肯定派だけど受けないという矛盾した選択となっている。

世間で言われている話と現実が違うし、根拠もない。全てにおいて「わからない」のだ。

娘が罹った事で予防接種をさせてあげなかった事に後悔が無いかというとそんな事もない。後悔はある。ただ、「納得」という部分が自分を制御すると思う。納得しなければ誰かのせいにしたくなる。誰かのせいにする人を否定するのではない。私は個人、組織問わず「誰かのせいにしたくない」のだ。

接種により感染したら当然、誰かのせいにしたくなる。自然感染なら誰のせいでもなく全てがわからない。誰かのせいにして自分のエネルギーを浪費する事が嫌で純粋に感染の事実を受け止めたいという考え。

言葉が喋れない子供は選択の余地が無いから親が決める事は仕方ないけど、娘は意思もあるだろうしそれを伝える事もできる。接種の意思確認をしてあげればよかったと後悔している。もしかしたら元妻がしているかもしれないし、元妻は否定派だからしてなくて娘も言えなかったかもしれない。

私個人の願望を言えば子供の頃からそういう重大な「決断」を経験させてあげたかった。離婚して離れているし意思確認できたとしても実行できたかはわからないけどね。

自分の「納得の理論」から考えると様々な想定を可能な限り行いそれにより出した結論は納得できる。それは理論で無いし、結果に後悔も付きもの。ただ納得はできる。

コロナワクチンで言えば無料だからとかみんながやってるからとか義務だからとかそんな軽い決断で決定しているのであればそれは違うと思う。メリットデメリットを検討して出した決断なら俺はどちらでも構わないと思う。


娘には早く良くなってほしい。子供達には些細な決断でもしっかり考えてから決めてほしいと思う。そういう日常の繰り返しが重要な決断の時に活かされるようになる。

なんとなくとかみんなと同じではない、己の意志を持って他人に強要する事なく真に自分にわがままに芯を持って生きてほしいものだ。