家の掃除も今日で2階は全て終了しました。
残すは1階のお風呂とリビングの小窓2つと勝手口ドアのみになりました。
初期のクオリティと今のクオリティが違いすぎて初期の清掃箇所が汚く見えてきます。
窓清掃で1番こだわっている所はサッシの清掃です。
10年分の土埃と虫達の亡骸、コケなどなどの蓄積が歴史を感じさせてくれます。
汚れた窓の清掃は私にとってやりがいそのものであり、これは仕事にできるのではないか?と思います。
0円で実施してもガラス越しに見る透明な景色は心までクリアにしてくれます。
それを実施してお金がもらえる、なおかつこの日本に何枚の汚れくすんだガラスがあるかと思うとワクワクします。
しかも私の清掃は水しか使いません。窓につく汚れは自然のものですから水でふやかせば落ちる訳です。
油汚れがあるのなら洗剤も必要かもしれませんが、水で充分綺麗になります。
8月から掃除を始めて4ヶ月で見違えるほど綺麗になりました。
汚れを落とす事で生活でついたキズが鮮明に姿を表します。家族と過ごしていた時ついた見覚えのあるキズ、落書き。私が家を出てから着いたであろう汚れ。
そういうネガティブなものにすら愛着が湧きます。
「キズ」というのはネガティブに感じる人が多い事と思いますが、私にとっては宝であり、歴史であります。
キズが着いた時を思い出すとそれはショックですし、その時は無い方が良いと思うものですが、人間として行動した証であり、そこに家庭があったわけです。今の私にとってはキズ一つひとつが大切な想い出であり、心の支えになっています。
それは着いたその時、ショックだったからこそ時間が経っても心に刻まれているのであろうと思います。
車のキズもそう。子供達が元気に活動したからこそ着いたもので、その時ショックだったからこそ今、「このキズはあの時あそこに出かけてこういう事があって着いたキズだったな」と当時の淡い想いを蘇らせてくれるのです。
成長とともにキズつけたり落書きしたり壊したりする事は無くなってしまいます。
落ちるものは落として、残るものは生きた証、家族の生活の証でありアートと思えばいい。
そういうものが大量に残っているからこの家が好きだし家族以外には渡したくないと思う。
車が買い替えられないのはそんな想いが強まってキズこそオリジナルだなと思っているからです。
キズが無い車を2台並べればどちらかわからないけどこのキズのつき方は俺の車だとわかる。
いつかは代替車両が私の元に来る時が来るだろうけど極力機能的な修理は施して限界まで使ってみようと思っている。
使用上つくキズはポジティブな物というマインドを世に広めたいと思う。
キズはあなたが、そして大切な誰かが生きて動いているから付く宝なのではないだろうか?
それを修理する事で無駄なお金をかけるなら、そのお金で出かけてもう一つ想い出を作る。もしかしたらその時、新たな宝であるキズが刻まれるのかもしれない。
物は減価償却によりいずれ価値が0になるから、それなら自己の価値観を上げるマインドを手にしてみてはいかがだろう。