今日は自転車がパンクした。

トラブルというのはネガティブな事というのが一般的だが俺はポジティブに捉えている。

金銭面や手間がかかる点というのはまぁネガティブなんだろうけど、車両が走行する上でタイヤに何かが刺さるというのはものすごい低確率だろうと思う。それに巡り会えるわけだからそれは特別なんだろうと。そして初のパンク修理という経験ができる。さらにはあの時パンクしたよなと過去を思い出せる、記憶に残るという事。

前回のパンク経験は結婚してる時家族と車で東京に行った時だなとかどこでパンクして何が刺さっていたか?どんな処置や手配をしたか?どのように気づきどんな失敗をしたか?そんな事まで細かく記憶に残っている。なんならどんな駐車場に停めてパンク前にどんな雰囲気の自販機でお茶を買ったとかそんな事も記憶している。あれは7年くらい前か?


今このブログ書きながらふと思った。

「俺は一般的に不幸な事に幸せを感じるのではないか?」と。

皆が喜びそうな事とか全然嬉しくないんだよなー。

人と同じを極端に避けているのか?はたまた幼少期に何かあったのか?離婚し子供と離れた事で実は傷ついてその傷を隠そうとしているのか?

よくわからないけど、一般的な幸せに近づくと動揺したり、拒絶したりする。

他人と同じは気に食わないし、同じ分類にされるのも気に食わない。そして心から思うのは「俺は俺の道を行く」と思っている。

誰にも評価されない、誰も評価しない、人としては皆同じだろう?誰しも必ず輝く部分があり、誰しも必ず欠点がある。それに優劣をつけ評価し評価されるのは不自然だと思っている。

だからこそ最近男女関係についても気持ち悪さを感じるし上下関係にも気持ち悪さを感じる。

「優劣」があるからなのかな?と思っている。

一緒に居たいなら居ればいい。やりたいならやればいい。良い悪いというかこの世の全てはバランスなのだと感じている。

だからパンクは俺にとってメリットでしかない。なぜなら記憶に残るし、経験をさせてくれるし、低い確率の中こんなもの


が道に落ちていて出会えたわけだ。

これがタイヤに刺さるなんて奇跡意外にない。

これは何なのか?そんな疑問すら幸せに感じる。

このトゲトゲは自宅のニッチカウンターにディスプレイした。

今日は素晴らしい経験と出会いをした良い一日になった。これをどうネガティブに捉えようというのだろう。