子供達にスマホを持たせたら繋がりが増した。

繋がりというのはどれだけ重要かよくわかる。

寂しさがほとんどない。

家に戻った事、スマホで繋がれる事でよくわかった。


「俺は子供達と繋がりを持ちたかったんだ」


と。

そしていつか必ず家に帰ってくる子供達のために掃除をする。子供達が居ると家は汚れる。どろんこ素足で家に入ってきたり、食べ物こぼしたり。

本当はそんな生活をこの家でするはずだったけど。

子供達も大きくなり「どろんこ」という歳ではなくなってきたから、おそらく年末戻ってくるであろうその時に驚かせたい!


「もう君らが汚した家ではないのだぞ?住みたてはこんなにきれいだったんだぞ?」


とね!

柱の身長の落書きもきれいにしてわかりやすく書き直して、今後帰ってきた時にその都度身長を柱に書き記そうと思っている。

毎日直接のやり取りはなくなったけど、LINEと家の掃除で繋がりを感じられる。

そんな事が贅沢に思うのです。

なんなら他の人ができない経験であり、価値のある経験だと思っている。

離れている事で想いが増す。その状況でLINEで繋がれる。そして帰ってくる時の楽しみがある。

この環境、状況になるまで三年かかった。

その間、彼女ができた時も個人としては幸せだったけど、また別の家庭を築く想像をした時、とてつもなく違和感を感じてしまった。それは相手に不満があったとかそういうことではなくて、両方が大切になった時の自分の心が持つのだろうか?という心配だったのかもしれない。

あの時新たな家庭を築いていたら、過去の子供達との時間を受け入れる事は難しかっただろう。

今一人でいる事で過去の子供達との思い出を受け入れて、大切にフタをした所なんだと思う。

新たな大切なものを持つと失った物が大切に思えてくるのかな?

自己の幸せを考えず、他の幸せ、そして本当に大切なものはひとつ。

だから孤独や悲しみすら大切で幸せなものなのだろうと結論づける。

離婚から学んだ事は「他の幸せを考える」という事でそれこそが自己の幸せにつながるのだと思う。

これは受け身のように見せて攻めていると思っている。

都合のいい事はとにかく嫌いで、自分を奮い立たせてくれるものには全力を注ぎたい。

何せ褒められたり、良い評価されても全然嬉しくない。自分が納得する事が最大の評価だと思う。