季節もすっかり秋で朝晩は肌寒い。

二連休初日はキッチンと洗面台を掃除。

一階の清掃の末期に突入しそうだ。

小分けに時間をかけて丁寧に清掃してきたから今度は維持の清掃も必要になってくる。

持ち家はワンルームに比べ大変だ。

掃除をしながら自分は主夫向きなんじゃないかな?と思う。子供達や家のためなら自分のやりたい事は捨てられる。せっかく買った自転車も清掃に気が行くと出動機会が無い。人間とはない物ねだりだからわからないけど。


今日は100円ショップを隅から隅まで歩いてまず目に止まり「いいな」と思った商品を全てカゴに入れ、満載になったカゴから「本当は不用なんじゃないか?」という商品を店の隅で選択し棚に戻しお会計へ。こうする事で「いい買い物」ができる。ロスを省く事はどの場面でも忘れないようにしている。

「一円を大切にできない人は大金も大切にできない」そういう精神を持っている。


今日掃除しながら考えた事

①愛には攻撃性があるのではないか?ただし無償の愛は許容の心なのではないか?

(恋愛、師弟愛、仕事愛などは攻撃的で想いが強いと苛立つ。しかし親子愛など無償の愛はどんな状態でも許せる。)


②やってあげる事はその人を衰退させる。世の中のサービスはお金を払えば受けられるが、その反面その事は本人にとって知らない、できない事が増える。

(掃除はこんなに楽しく達成感があるのに嫌いな人はやらない。やらない理由のひとつとしてやり方を知らないという物があると思われる。油汚れの落とし方を知らなかった時やらないしやりたくなかった。やり方がわかってそれが簡単だと気づければ楽しくなるのではないか?)


③物事の本質を考える人は少ない。本質の探究、問診、調査をする人はなかなか居ない。(物事の根本を考える事で道が変わる。そしてその道の根本は個々の複雑な環境によってもさらに枝葉のように分かれる。)


お金も物事も「結果」ばかりが先行して輝かしく見える。ただ、その大金も一円の集合体であり、結果も小さなやりとりの集合体なんだろうと。

一円、一言、一瞬を大切にしなければならないなと思った今日の頭の中をブログにしてみました。