嫌でも一緒の時間を過ごしたい。

今日はそんな経験をした。

まさにこれが愛であり、自分自身が離婚する時思っていた事だ。

「俺の心を動かしてほしい。」

これこそが愛なんだろう。


愛されたいなら愛される行動を。

想われたいなら想われる行動を。

共感してほしいなら共感してもらえる行動を。


いつだって誰にだってそう思っている。誰かに誘われる時、その人に会いたいならどんなくだらない理由でも時間を作る。

本当に大切なら嫌な事でも行ってしまうもの。

上から目線とかそういう解釈をされても構わないと思っている。価値がないものに心は動かない。価値があるものならどんなくだらない事だって心は動く。


今日は絶叫アトラクションを体験してきた。

ハタチくらいの時、富士急行って以来の絶叫系だ。

デートのお相手は、、、。







身長がギリギリ乗れるくらいになったから乗りたいとリクエストを受けイヤイヤ行ってきました。笑


「娘に言われたらそれは叶えなければおとうとしてダメだろ?」と心にムチを打って。

おっさんになったから三半規管が老化して気持ち悪くならないかマジで心配だった。

高所で足が竦むので高いのもムリ、落ちるのも、回るのもムリなんだけど頑張りました。


今日のやりとりで一つ目に乗り終えた後、娘に弱音を吐いたら「次は私一人で乗るから待ってなよ」と平気な顔で言われて、その時返した言葉は「いや、乗る!せっかく一緒に来たんだから!」


これぞ愛だと思うのです。

共感、共有、協力の言葉は反吐が出るほど嫌いで、「共感してほしい」「共有したい」「協力してほしい」という言葉が出ると場面や人に関わらず心の中で「それは言葉に出してやるものじゃねぇ自然とできるものだ」といつも唱える。

この類の言葉って女子が良く言うんです。恋愛でも仕事でも。その時に決まって「ぜってーやんねー」って思う。上から目線なのかひねくれなのか自分でもわからないけどそれは自然とできるものであり、してほしい、やりたいならそう思わせてくれと思ってしまう。

そもそも女性が男の能力が低すぎるのをわかっていないから使うんだろうな?


けど本当に大切な人のためなら自然とできるものなんだろうと思います。

言葉に出したくないけど今日は時間を共有したいと心から思えた。たとえそれが自分の苦手な事でもその人のためなら頑張れる。

人を動かす時、言って動かそうとしても動かないというのが自論で、自分は頑張っている人の為には動こうと思うけどただ口だけならやっぱり動けない。

そして世のほとんどの人は頑張っている人を見ても動かない人が多い。自分が良ければいいんだろう。

頑張ってない奴に言われて誰が動くと思う?

共感、共有、協力は言葉に出すと価値を失うものなんだと。それを肌で感じるからあまり言葉に出したくない。


ただ娘とは一緒の時間を「きょうゆう」したかったんだよ!!笑


言葉に出したから価値がなくなったかな?笑


あんなに怖いものに娘一人で乗らせて何かあったらかわいそうだし、そばで声をかけてあげたいと思った。だって途中で横見たら目つぶってるから気を失ったのかなと心配になったからさ。あとで聞いたら目をつぶったら楽なのか試してたって!笑

自分がしっかりしなければと、どのアトラクションでも途中で「大丈夫か?」って聞ける余裕があった事に自分でも驚くけど、やっぱり絶叫系は苦手です。とにかく死ぬまでもう二度と乗らなくていいなら乗りたくない。

早く大きくなって友達とか彼氏とか代役が現れてくれるのを期待するばかりだ。