離婚して離れて過ごして月日が経てば元妻とも和解というか多少わだかまりも消えるかと思っていたがそうではないようだ。
私がどんな想いで迷い、苦しみ、悲しんで家を出たかはどうしても伝わらないらしい。
「私たち家族は捨てられた」
そう言われればまぁそうだろうけど、自分でもわかっていなかったが相当父親になっている自分がいる。結婚生活中は父親として不足していると言われ続けていたから世の中の父親に比べれば相当劣っていると思っていた。
確かに子供達と時間を多く過ごしたかというとそうではなかったかもしれないけど、「想い」の部分で他の父親に負ける気はしていなかった。
何せ子供とは対等だと思っていたしなんとなく父親とは器の大きさだと思っているからどれだけ接したかはあまりピンとこない。
子供と共に過ごすというよりは影から支えるとか影から見るとかそういう父親を目指している。
子供達の健全な生活において「親」が前に出て行く事ほど親主体の生活だと思っている。
私がやりたかったのは子供主体の生活であり、いかに小さなうちから社会というものに触れ、独り立ちできるようになるか?が重要だった。
子供に前に出てもらい親がサポートする。サポートといってもやってあげるのではなく見届ける。
そういうのが親の役目だろうと。
一緒に楽しむのではなく楽しむ子供を影で支えるというのが親の楽しみだと思っている。
そういう所で元妻とは不仲になったけど私にも問題があったのかもしれない。
元妻には今も敬意というか感謝というかがあるがいまだに私が家を出た事を「捨てられた」と表現する所に根に持っているなと思うし、あれだけ離婚だの出ていけだの言ってたのにそれが幸せだったという事なのか?と思うからどの言葉を信じればいいのかがわからない。
離婚という言葉は聞き流せばよかったのか?出ていけというのは軽い言葉だったのか?と全ての言動を間に受けていた私はどうしたらよかったのだろう。
結論からいえば離婚した事は正解だったと思うし、これだから離婚したのだと納得する材料になってしまっている。
長女、次男はまだ小さいしあまり関わりが持てていないからわからないけど、一人で行動できるようになってきたら影から支えたいし、長男においてはどこか自分に似てきている気がして、大人びた雰囲気とどこか寂しげな雰囲気が魅力的だと思う。
私が中学一年の時にこの落ち着きと冷静さは無かっただろうし本当にしっかりしたなと思う自分が親バカなのだろう。
結婚するならお互いに支え合えるような素晴らしい相手に巡り合ってほしいものだ。そして私とは違い結婚が幸せだと思えるようになってほしい。
外観やスペックにとらわれない真に支え合える相手。なかなか出会わないだろうからしっかりと見極めて幸せになってほしい。
離婚した事で今までは全てうまくいった。学校に行くようになったし、社交的になった。離婚後初めて私の思い通りにいかない事それが東京への引っ越しだ。
私の収入では到底住めない場所に子供達が住めるわけだからプラスに考えるようにする。
そして引っ越しだ事でお金が重要だと思う事もプラスだし世の中お金じゃないと思う事もプラスだ。
プラス思考とはそういうもの。どう転んでも結局はプラスなんだよ。ただ寂しさだけは変わらない事実だけど。