前から気づいていたけど、悲しみの感情が極端に少ない。
普通の人が「悲しい」と思う時、パニックになるかもしくは怒りの感情になる。
軽度の悲しみは怒りに、重度の悲しみはパニックになる。
悲しみは表現が難しく解消も難しい。
どのように表現してどのように解消するか?
基本的に感情を完全に表に出して生きているから悲しみだけは隠しているからなのかもしれない。
明日は長男と会う。
日常を共にできない辛さにはだいぶ慣れてきたし、父親がいなくても生きていける歳になってきたこともあり、楽しみが勝る。
子供達が東京に行ったら、どんな感情になるのだろう?
私は行かない方が幸せだと思うし、行かないでほしい。小さな自転車の旅で会える可能性も無くなる。物理的に距離が近ければ会わなくともそばにいる事もできたから、それが叶わない事が残念でならない。
「いつでも会える」「今はどこで何をしているかわかる」そういう心の支えは無くなるわけだ。
明日は野球のグローブを買う約束とプロ野球観戦。
自分と長男の小さな小さな関係性はすれ違う人々はわからないだろう。どんな想いで離れてどんな想いで会い時間を共にしているか気づくわけもない。
自分だけが悲観しているわけでもなく不幸だと思うわけでもなく、ただその関係性を大切にしている事は誰も気づかないだろうし、ドームに集まる人々やこの地球上の人々にもまた、それぞれのドラマや想いがある。
どんなにお金を持っていようが、どんなに一緒にいて幸せだろうがそれぞれの想いに誇りを持って日々生きてほしいと思っている。
それは全ての人に思う事であり、それぞれがそれぞれの想いで人生を楽しんでいたらいいのだと思う。
私は誰よりも今という時間を大切にしている自信がある。そしてそれは勝ち負けではなく全ての人が今という一瞬に誇りを持って生きてほしいと思っている。
生活で一瞬を大切にするという事は細かいとか厳しいとかそのように映ることもあるが本気で幸せになってほしいと思うから相手にも時間を大切にしてほしいと思うし、自分の時間を大切にする人は人の時間も大切にするという事実なんだろうと理解している。