昨日は子供達と会ってきました。

一夜明け久々に寂しい気持ちです。

自分自身はなにも変わってないのに周りがどんどん変わっていく。

久々に家の土地に足を踏み入れて木々の成長を感じ、昔の飼い犬に会って覚えていてくれた事。

家を出たのは自分でも心で置いて行かれたのはどちらなのか?

またそのまま家に戻れば再スタートできるような気がする。

だけど周りの状況が変わりすぎて、その力は止められないと思う。

自分の離婚に向かう力がそうだったように、止められない事もある。

そうやって人は流されて生きていくのだと思う。

状況が変わっても自分自身は変わらずにいたいし、変われないと思っている。

女として見れないし、離婚してるけど元妻も自分の中では家族として続いている。戸籍上は家族ではないしその関係に戻る気もないけど一度家族としてスタートしたから終わる時は自分が死ぬ時だろう。

離れているけど家族は家族なんだろう。家族として離婚を選んだに過ぎない。そんな感じかな。

女として見てほしいとか妻として扱ってほしいとか離婚前は言われて、そもそも自分自身が男や夫として扱われていなかったから違和感しかなくて。家族ってそんなもんだろ?と思っていた。

今考えると昔から自分がそういう考えだったんだなと思うし、今も家族と思っている。

ただ恩着せがましく「女」だとか「妻」だとか「男」だとか「夫」だとか言われたくないし言いたくない。そのようになりたいならそのように振る舞えばいいし言って変わるようなものじゃない。

行動で示す事こそ真にそのようになる事だと思っている。

非力ではあるけど父親として変わらない行動をとっていきたい。

東京は華やかなイメージで住む場所という認識がないからそこに住んでいる人がどんな気持ちで住んでいるのかわからない。

そしてなんとなくハリボテなイメージで芯の部分がわかりにくいイメージだ。

人間の芯は変わらない、お金により飾られている。飾りを外した時どうあるか。それが私には重要であり大多数の人が良いという物が嫌いな理由だろう。

本当にいい物は誰になんて言われようと手に入れるだろうし、どうなっても構わない物。

みんながいいという物が必ず自分に合うかはわからない。そして本当にいいと思うならそれに向かって貫き突き進めよと思う。

誰かと意見が分かれても譲れる時は本気度が低い時だ。だから子供達が東京に行く事は色々な状況から自分にとって止めるほど本気度が高くないという事だろう。どちらが幸せかもわからない状況で止めるほど責任を負えない。ただ、合わなかった時戻って来れる状況を作ってあげたい。それは子供達だけでなく元妻に対してもそう思っている。

家族とは必ずしも同じ家に住んでいなくてはいけないとも思わないし、仲が良くないといけないというわけでもない。一緒に過ごせればそれが一番だけどそうもいかない事もある。

元妻は好きを求めるから好きじゃなくて離婚した。ただ家族としてはそこで引いてくれれば続いていたのかもしれない。