GW子供達との1日を終え、今帰宅した所です。
子供というのはかけがえのない存在であり、尊く、儚く、小さく、弱い。ただそんな小さな命ですら強くたくましく生きている。
大人というのは汚く醜いもので、子供達と接すると守りたくなるというか、心が洗われるというか、弱さこそ強さであり、やはり同じ時間を過ごす事で謙虚な気持ちになる。
子供達が大人になるとこの気持ちは薄れるだろうけど、持ち前の記憶力の良さと、離婚により止まった時間を利用して幼き子供達の記憶を残しておきたい。
いつか大人対大人になると、子供達と遊んだ疲労や記憶をなくして、自分達が良ければいいという考えになる。大人達のこだわりなんてくだらなくて、偏った贔屓や歪んだ自論。そんな世界にどんどん入っていき自我が育つ。
純粋無垢な子供達の表情を見ると私達大人がいかにくだらないかを思い知らされる。離婚なんてその代表例だろう。
今日見た景色や感覚は数年前と変わらない。建物や配置は変わっても空気感というか、そういうものは何も変わっていない。
自分の存在すら認められているようで、愛情をもらっているのは自分の方なのではないか?とさえ思う。
子供達の存在こそ生きる力であり、今日一日の懐かしい疲労感を感じながら安心の眠気が襲ってくる。
子供の成長なんて本当あっという間で、収入とか地位とか見栄とかそういうものを捨てて、より多くの時間を過ごせるようにしている人は本当賢いなと思います。
人生におけるレールは学生時代にある程度決まる。その時は当然自分本位だ。業種によっては勤務時間が過酷な業種もある。学生時代に時間の大切さをわかっていればレールもどう敷くか変わるだろう。
必ずしも高収入がいいとも限らないし、誰にとっても平等で有限なのは時間であり、さらには機会で考えても子供と密に過ごせるのは生まれてから10年前後、時間的損失、機会的損失を考え遠い未来を設計できる学生がいるとすればその人は只者ではないし、これからそういう考え方ができないと多数の中に埋もれ不幸になる人が増えると思う。
そう考えると幸福度が高い職種は農業なのかな?と思う。
普段何もしてやれないのに長男からはありがとうの言葉をもらい、長女と次男から手紙をもらった。
普段汚いだとかキモいだとか金よこせだとかそんな事ばかり言われているけどそれを言ってくれる環境が誇らしいし、自論では言いたい事、憎まれ口、冗談、それを言えるという事は心を許している証拠だと思うし、自分自身も壁を作りガードをして尊敬できない相手に親しみなんて生まれないと思っている。
私は自分の父を「父親」だとは思っていない。なぜならそこに親しみは無いから、その文字をあえて除いて考えている。
自分は子供達に親しみをつけてもらえる存在でいたいと思っている。