記憶力、過去、未来、写真、現実。
朝からそんな事を考えている。
昨日仕事終わりにジムで「ついこないだまで高校生だった」という話をしたり、会員さんが就活の相談をしてきたり。殴り合い蹴り合いをしながらそんな話をすると、自分の当時を思い出す。
自分の鮮明な記憶が役に立つ事もあれば、最近は自分を苦しめている事にも気づき始めた。
つい先日のことのように鮮明だから。
昨日ジムでそんな話をしたからか高校時代の夢を見て起きたら一気に現実に戻される。
生まれてから今まであっという間で、極端な話をすれば幼き頃自宅で野良猫に猫パンチされた時や転んで怪我をしたのは先日で気付けば今。
どの記憶も鮮明でもちろん忘れている事もあるけど時系列がわからないほど鮮明に残る。
なぜそんなにも時間が経つ事が怖いのかとも思うけど死の恐怖なのか?空白の時を作るのが怖いのか?わからない。
毎日は「もう戻れない」の繰り返しで今この一瞬、一秒はもう二度と戻らない。
くだらない話だけど「宇宙空間=時間」なんじゃないか?と考えたり、タイムマシンは乗り物全てなんじゃないかと考えたり。
人間で行ける範囲と所要時間を考えた時、一時間5キロと考えれば自転車でも電車でも車でもそれより早く到着できる。時間を制御できるという事はタイムマシンはできていると言ってもいいのかもしれない。人間の発想は有限であり、無限の宇宙はすなわち時空で先は無限。その反対があるとすれば過去は逆の無限で絶対に取り戻せないものなのかもしれない。
写真や動画は過去を取り戻す、過去に戻る唯一の方法であり、戻るタイムマシンはカメラやスマホなのかも。
一般的に幸せになれない人とは私の事なのかもしれない。思い出を作る事は記憶を作る事になりもう戻れないという寂しさに襲われる。
かといって日常の些細な記憶も残るけど、楽しいとかツラいとかそういう記憶を残すとそれがなぜか寂しくなる。思い出が無いと空白のような時間ができ、それはそれでまた寂しいけど、幸せって寂しいものだと思うんです。
生きるという事は私にとって寂しさでありそれが生きる魅力なのだと気付くのです。
過去の私を見つけに自転車で巡るミニマムな旅をしてInstagramに残す。寂しさは私の原動力であり魅力だと思う。
向かう先はいつも過去、縁があった場所ばかりだけど、たまに私と関わりが無い場所に惹かれて向かう時には実は前世で関わりがあった場所なのかな?とか思ったり。これだけ過去に囚われているとそういう考えになります。
人間の芯には幼いままの私がありその周りを大人という私が固めている。
出会いや別れも思い出であり、出会いにはいつか終わる、離れるという寂しさを秘めている。そんな考えから広く行動すると寂しさが増すので私には日常の変化が恐怖なのです。
リアルな私はスーパーポジティブだから周りの人はそんな事想像もしてないと思うけど、芯はスーパーネガティブで、だからこそブログではネガティブを吐いてバランスを取るのかもしれません。
気付けば死ぬ瞬間で、人生はあっという間なんだと思います。死に際に私は何を思うのか?きっと心は少年のまま、寂しさの魅力に浸っている事でしょう。