生後2ヶ月のかわいい長男とは離れ離れ、妻との仲は最悪、仕事は遅いが頑張らないといけない。

がむしゃらな一人暮らしだった。

しっかりごはんは食べていたけど、別居が始まり二週間で体重が10キロ減った。

毎週休みには朝6時に起きて子供のいる妻の実家に片道1時間、居眠り運転をしながら通った。

寂しさを紛らわす為、仕事終わりに妻の実家の前を車で通って帰った。


「少しでも近くに居たい」


そんな気持ちだった。

妻に対する愛情はこの頃一気に無くなり、少しでも子供の側に居たい、そんな気持ちからほぼ毎日ドライブがてら妻の実家の前を通っていた。


「元気かな?」とか「夜泣きしてるのかな?」とかそんな事を考えながら通過する。


仕事に追われ、妻には帰りが遅い事で育児に参加していない、そう思われていた。


仕事をしないと生活ができない。


仕事量は自分で調整できない。


完全に不可抗力でどうする事もできなかった。

理解してもらえない事ほど寂しい事はない。ただ、いつかはわかってもらえるのではないか?そんな期待から離婚は考えなかったが、周りからはこの頃から離婚を勧められるようになる。

東日本大震災は別々に迎え、1人計画停電の暗闇の中、悲しかったな。テレビからはずっと同じ某CMと緊急地震速報が流れ、原発事故の放射性物質を心配する妻に海外移住の話をされ、そこでもまた対立が深まる。

ガソリン不足で長い列にも並んだな。


一年半、とてつもなく長かったけど、寂しさの中にどこか妻から逃れられ安心する気持ちもあった。

この時もうすでに夫婦の関係は終わっていたのであろう。

家を建てる話も一旦保留になり、別居もいつ終わるのか。

終わってほしいような、終わってほしくないような、そんな状況でした。

この別居中に妻の意向で双方の親を挟んで家族会議もして、義理母には「協力的じゃない」「早く帰れるようにしなさい」「もっと頑張りなさい」と言われ、「俺が悪いのか?オタクの娘の考えが甘いのでは?」と当時は思っていた。結論も出る訳はないが家族会議は終了。私が自分の親を家に送り届ける時、私の母は「舐められてんのかな?よく相手の親がいる前であんな事いえるな!悔しい」と義理母に激怒、「まぁ落ち着け、誰しも自分の子がかわいいんだろ?」となだめる俺。今となっては笑える話です。

結局一年半別居が続いたが、別居終焉の理由が笑える。


「協力的じゃない母親と不仲になったからあなたの所の方がまだマシ」


その時は「まぁ人間誰しも完璧じゃないから上手くいかない事もあるんだな」そう思ったが、カエルの子はカエル。妻も義理母もどっちもどっちだよ。


第一次別居生活の終了である。


つづく