2年前のお盆休み前日である8/10、私は私の家を出ました。2年前の夜遅いちょうどこの時間に子供達の寝顔を見て家を出ました。

子供達と離れて2年。あっという間でした。子供達との生活はつい先日のように覚えています。

こんなブログを書きながら一人泣いています。

2年くらい経つとある程度身の回りの事も落ち着き生活も変わりました。節目に今の感情を残そうと思います。

子供達とは平均して半年に一回ほどしか会えていませんが、長く会わなくても一緒に住んでいた時と全く変わらないことに驚いています。そんな所に悔しさが出てしまいます。一緒に住んでいたら毎日の些細な会話まで把握できているのにと欲張りになってしまいます。離れていても何も変わらないのになと思ってしまうのです。本当はもっと会いたいし、いざとなればいつでも子供達が来れる場所で一人で住んで待ちたい気持ちが大きいです。いつでも遊びに来れるような環境を作ってあげたいと考えていますが、現実はかなっていません。子供達に対する想いは何も変わっていなくて、本当に可愛く思います。コロナや交通事故など心配で守ってあげたいけど、一緒にいても無理な事かもしれないけど心配です。離れていても全員が健康ならいつかは会えます。本当は毎日顔を合わせて愛情を注ぎたいです。

元夫婦関係はやはり協力してもらえなかった気がします。私は家族のためなら辛く遅い仕事でも頑張れた。今は背負うものが無く仕事が辛すぎる。

帰りが遅い事でワンオペ育児をさせてしまったかもしれないけど、仕事を頑張っている事を認めて欲しかったし、支えて欲しかった。実際はそこにつけ込まれかなりケンカになってしまった。

だから帰宅後家事を頑張ったし、考えは違うけど元妻に好きな事を極力やらせてあげた、ジムやヨガ、大学入学にホームスクール、無添加製品。かなり家計はきつかったけど頑張った。仕事が遅いなど環境のせいにしがちだけど私は環境を理由に協力できないのは容認できなかった。転職すればいい、転勤すれば改善されると言った考えは甘えであり、環境や待遇が変わっても変わらなくても支え合うのが夫婦だと今でも思っている。周りの環境に流されず、変わらず助け合うのが夫婦だと思う。

2年経ち住環境が与える影響に気がついた。私は変わらない事が好きで、無意識に自分の居場所を求めていたのかもしれない。私が覚悟を持ってローンを組んで建てた家は自分の安らぎの場所だった。周辺環境も最高だった。やっぱ自分の場所はそこだった。

私は仕事が遅くても、元妻が家事をやらなくても帰ってからやっていたしそれに不満は今でも無い。ただ、本来なら先に寝ずに元妻にやってもらいたかったが、私がやる事自体に不満は無かった。ただそれに対して当たり前のような元妻の振る舞いややり方に対しての文句、私に対する不満が私を離婚に向かわせた。私は結婚生活自体に文句は無かったし他人から見たらひどい結婚生活でも頑張れた。元妻からの攻撃がなければ離婚はしていなかったであろう。

家庭というのは安らぎの場で、罵倒したり罵ったり一人で進めるものではないと思うし、妻は育児で一人自分の方針を進めた。家計は俺が引っ張ると意地を張って一人舵取りを行った。そんなに気張る必要は無かったし、お互い頼っていたらうまく進んだのかもしれないが、お願いすれば怒られる環境だったからな。とても頼れなかった。やはり離婚はやむを得なかったんだったんだろうな。

ただ間違い無く言える事、それは


「家庭は安らげる場所でなければいけない」


これが崩れると別居になるし離婚になるのは間違いないです。誰しも口うるさい人がいるところでは安らげないし、帰りたいと思わない。


安らげる場所で子供達の成長を見ながら幸せを感じて生活がしたかった。ただ、親権を争い勝てば元妻が孤独な思いをする、私は誰もが幸せになってほしい、自分は後回しでいいです。ただ、これ以上の金銭要求や、事を荒立てることはもうやめてほしいと思っています。

争いを避け、完璧で無くとも全員が健康で少しでも幸せでいてほしい。結婚生活で私に文句があった元妻にもそう思ってます。 


私はみんなが少しでも幸せになれるよう、私の幸せを少し犠牲にして家庭から離れたのだから、、、。夫婦仲が悪い事で他人や子供達にもたくさん迷惑かけた、だから私は家庭から離れた。

すごく寂しいけどこれでよかったんだろうと思っています。