先日のある会合で、連日更新している私の徒然日記がちょっと話題になった。「何故一日も欠かさずに続けることが出来るていのか?どれだけの時間をかけているのか?続けているエネルギーは何なのか・・・」等、問われた。今まではそんな時には「継続は力なり」という言葉を引用して、それが私の大好きな言葉だし、性格に合っているから実践出来ているのだろう、と説明してきたが、最近は「極めてワンパターンの生活の中で、非日常的な体験が出来る時間だから、続いているのだと思う」と答えている。
生活記録を具体的な時間を付けて記録し始めたのは、ほぼ30年も前の向浜公園脇での刑事による職務質問であった。私にとって3回目のこの職質は大きなショックで、連日の記録を遺しておくことは保身のためにも重要と自覚したからである。このことは何度か記載した。
ここ10数年間分の記録は電子媒体への記録だから直ぐに呼び出すことが出来るし、それ以前の記録も自宅の本箱の何処かにあるはずである。幸いにその後職質等を受けていないが、いろいろなところでこの記録は役立っている。
作製方法は実に簡単。一ヶ月単位で呼び出してある昨年の記録に、エクセルで比較的詳細に作っている予定表のデータを移植し、若干加筆するだけだから数分程度で完成する。この作業は昨年の今日、何をしていたのか、何を考えていたのかを再確認出来るのも愉しい。
「光陰矢の如し」と言われるが、日常の時間の経過は驚くほどの速さであり、私にとってこの記録がなければ殆ど記憶に残らない、失われた日々となってしまう。昨年一年間のことを想い出そうとしても節目節目のことが若干出てくるだけ。記憶に頼るだけなら昨年の大部分、私が存在しなかったのに等しい。そんな人生なら実につまらないじゃないか。
大好きな真夏、炎天下で過ごすのが好きな私であるが、殆ど記憶がないまま秋になり、あれよあれよと言ううちに新年を迎え、もう一月も経過した。私の記憶力が乏しくなってきているのだろうが、ハードディスクが代わりにしっかりと記憶してくれているから有り難い。炎天下でテニスを楽しんだし、バイクで走った事もキチンと記録されている。この徒然日記を呼び出すと毎日しっかりと地に足をつけて生きていた事が分かる。そんな効能も感じるとれる日記である。
生活記録を具体的な時間を付けて記録し始めたのは、ほぼ30年も前の向浜公園脇での刑事による職務質問であった。私にとって3回目のこの職質は大きなショックで、連日の記録を遺しておくことは保身のためにも重要と自覚したからである。このことは何度か記載した。
ここ10数年間分の記録は電子媒体への記録だから直ぐに呼び出すことが出来るし、それ以前の記録も自宅の本箱の何処かにあるはずである。幸いにその後職質等を受けていないが、いろいろなところでこの記録は役立っている。
作製方法は実に簡単。一ヶ月単位で呼び出してある昨年の記録に、エクセルで比較的詳細に作っている予定表のデータを移植し、若干加筆するだけだから数分程度で完成する。この作業は昨年の今日、何をしていたのか、何を考えていたのかを再確認出来るのも愉しい。
「光陰矢の如し」と言われるが、日常の時間の経過は驚くほどの速さであり、私にとってこの記録がなければ殆ど記憶に残らない、失われた日々となってしまう。昨年一年間のことを想い出そうとしても節目節目のことが若干出てくるだけ。記憶に頼るだけなら昨年の大部分、私が存在しなかったのに等しい。そんな人生なら実につまらないじゃないか。
大好きな真夏、炎天下で過ごすのが好きな私であるが、殆ど記憶がないまま秋になり、あれよあれよと言ううちに新年を迎え、もう一月も経過した。私の記憶力が乏しくなってきているのだろうが、ハードディスクが代わりにしっかりと記憶してくれているから有り難い。炎天下でテニスを楽しんだし、バイクで走った事もキチンと記録されている。この徒然日記を呼び出すと毎日しっかりと地に足をつけて生きていた事が分かる。そんな効能も感じるとれる日記である。