小野友誠さんをご存知の方は、ランナーでもほとんどいないと思います。

法政大学在学中の1993年に、800m走で29年ぶりに日本記録を更新しています。その後15年間記録は破られていませんので、当時としてはずば抜けた走力といっていいでしょう。

 

 

 

小野友誠さんのことは、中学時代から知っていました。何度も登場する浜松つながりです。

 

私が大学を卒業して地元の浜松に戻った当時、小野さんは市内の可美中学で陸上競技をしており、市営グランドで何度か見かける機会がありました。直接話をしたことはありませんが、グランドのベンチで小野さんが友達と話をしているのを聞く機会がありました。

 

全国大会の話をしていたのですが、小野さんが全国大会で優勝する自信があるといっていたのを覚えています。ビッグマウスと思いましたが、その後の活躍を考えると有言実行といえるかもしれません。

 

中学卒業後は地元名門校の浜松商業に進学します。順調に記録を伸ばし、大学に進学しますが、なぜか私の母校でもある法政大学でした。

 

 

 

法政大学時代に日本記録を3度更新することになりますが、なぜ法政大学に進学したのか気になります。

 

私の時代もそうでしたが、法政大学は自由な雰囲気があり束縛は少なかったと思います。

ブログでも紹介した現小森コーポレーション総監督の若倉和也さんは、早稲田大学からも勧誘があったものの、坊主頭にするのが嫌で法政大学に進学しています。

 

 

 

体育系の大学に進学せずに、法政大学に入学する選手が少なからずいたことは間違いありません。

 

ただ、強制されることが少ない分、やる人間とやらない人間の差が出て、大きく伸びる選手がいる反面、成績が低迷する選手も当然います。ただ、自身で考えて練習に取り組むことができますので、自主性という意味では大きなプラスになります。

 

在学中にオリンピックに出場した選手が多数いることを考えると、実績が証明しているともいえます。

 

44年ぶりの男子800m五輪代表を実現させた4年間に2つの側面

 

この記事にあるように、小野選手は日本記録出したタイミングの問題もあり、オリンピックには出場できませんでした。

 

卒業後はSB食品入社し競技を続けることになりますが、これといった記録はほとんど残していないようです。私自身も、SB食品に所属していたことをすっかり忘れていました。

大学時代にすべてを出し尽くしてしまったのでしょうか?

 

法政大学OBの情報によると、現在は地元浜松のガス関係の会社で働いているようですが、陸上競技とは縁が切れてしまっているようです。

 

元日本記録保持者として陸上界で活動して欲しいと思いますが、SB食品で競技生活が影響しているのでしょうか?中学時代の強気な発言を聞いているだけに非常に残念です。