実家終い② | 日記

日記

日々の徒然

母には精神疾患があった。

入院前も身体は健康そのものだったが当時1人で立つことが難しいほど症状は悪化していた。ただその足は気分次第で時々元気に動き出し、外までゴミ出しにも行けたりもする。なのでそんな中でも母の部屋は乱れたり不潔になることはなく整然と保たれていた。明らかに精神から来る症状ではあったが「足が痛くて立てない」と言うのは本人にとっては紛れもない事実であったのだろうとは思う。

 

それでも約1年空き家だった母の部屋で1人で作業するのには色々な意味で勇気がいった。そこでプロの掃除屋を手配し一緒に入室して頂くことで勢いをつけることにした。

 

掃除業者は人の良さそうな「おじさん」が1人で現れた。マンションとは言え1人でハウスクリーニングが1日で終わるはずも無く、結果的には3日を要した。本来ならクレームものであるが、私も1人きりで母の片付けを始めるのには少しキツイところもあったので、人の出入りは気忙しくて助けられた。世間話をしながら母が不在の母の部屋にいることに慣れた頃「おじさん」は去って行った。

 

掃除が終わり、いよいよホテルを出て母の部屋に移動した。それからは1日中、声を出して母に話しかけながら作業をした。何か母と居るような錯覚で温かい気持ちになり、泣きながら笑っていた。

 

大切にしまわれた母のものを処分するのはとても悲しい作業だった。前にも書いたが、私は海外在住なので殆どのものをただただ処分するしかなかった。

 

母はお金持ちでは無かったが1人で生活するには十分な年金も蓄えもあったので、気ままに生活を楽しんでいたのだと思う。昔から少し高価でも上質なものを好む傾向にあり、残されたデザイナーズ家具や新機能家電など様々な「まだ余裕で使える良品」の処分には困惑した。明らかにゴミと呼べないものがたくさんあった。だが残りの滞在期間に売ったり譲ったりと手配をする余裕は時間的にも精神的にも無かった。

 

そこで買取業者を利用しようと思いついた。たとえ二束三文にしかならなくてもきっと誰かが再利用してくれるはず。そう思った瞬間に心の中で母の笑顔が見えた気がした。