超芸術トマソン / 赤瀬川原平 | mfcs's favorite things

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純粋なる音の繋がりは、人にどこまで感動を与えることができるのでしょう... とりあえず私の場合はこんな感じです。

白夜書房:1985年刊行
ちくま文庫:1987年第1刷/2017年第23刷

川崎の北部、いわゆる「都市近郊」と呼ばれる地域で幼少時代を過ごした私は、多摩川を超えた先にある「東京」という都市の風景や構造、成り立ちに(無意識のうちに)興味を持っていました。中でも、常にどこかが建設中で路線が延びて既設路線と新たな交わりを増す「地下鉄」。複雑に入り組んだ路線マップを見て、実際に自分で切符を買って乗車してみたりしていました。そのうちに、東京の地下にはいろいろと都市伝説のような話がいろいろあって、そういう方向にも興味が広がっていきました。
 

ちょっと前置きが長くなりましたが、私が「トマソン(当時私は "超芸術" という接頭語を意識できていませんでした)」というものの存在を知ったのは、記憶が曖昧ではありますが多分その頃だったと思います。記念すべきトマソン物件第1号「純粋階段」。四谷に存在していたために別名 "四谷階段" というウィットもあいまって、強烈な印象を私に与えてくれたのです。階段というものは高さの異なる2つの地点 - 仮に下方をA地点、上方をB地点と呼ぶことにします - を結ぶための建築物であると定義できますが、この「純粋階段」には、B地点がないのです。言い換えれば2つの階段がB地点で接合され、A→B→A’というように、本来の階段としては意味をなさない建築物として、そこに存在していたのです。

もちろん初めからこのような構造物を作製したわけではなく、もともとは普通に階段として機能していたものが、B地点で接していた建物が何らかの理由で設計変更され接点が失われたことで「純粋階段」になったものと思われますが、その時点で取り壊されないことで、意図せず「純粋なもの」となり、しかし機能的には本来の意味をなくした建造物は時間の流れとともに静かに朽ち始めていくことになります。

 

東京という常に(今も)リノベーション/アップデートを繰り返す街の中に取り残された遺産ですが、いわゆる廃墟までは逝かず「(いずれは取り壊されるものが多いのですが)純粋なもの」として佇むそのシルエットに「芸術を超えたもの=超芸術」という美の価値観を見出してくれた赤瀬川先生の着眼点と周知活動(例えば、この著書に出合えたこと)に、今更ながら感謝する次第です。

この「超芸術トマソン」という価値観は少し特殊に見えるかもしれませんが、(誤解を恐れずに言うと)いわゆる世界の巨匠と言われるアーティストの作品を見て、あぁこれは素晴らしい、というものもあれば、なんぢゃこれ、というものもあるのが事実で、つまりは自分の尺度(価値観)にどれだけ共鳴するエネルギーを持った作品であるかどうか、につきると思うのです。

おっと、めずらしく語り過ぎてしまったようです(笑)
少しだけネタばれですが、この著書の中で特に(私が)面白かったものを少し。

・p167 高田のババ・トライアングル
地下鉄東西線からJRに向かう階段通路。これ今も存在しているのかなぁ、確認しにいかないと!

・p216 北沢1/6電柱
コンクリートの電柱が新たに設置されたことで、それまでそこにあった木製電柱が、すべて除去されることなく1/6だけ残っているのですが、それがキチンと保全されている!何のために??これはさすがに今は存在してなさそうだなぁ、けど確認しにいかないとw

・p323に「超芸術トマソン」の一側面を的確に表現されたテキストがあります。"人工空間に発生する歪みのようなものであり、都市の不動産の活動層に沿ってあらわれる" しかし、その左側のページ(p322)に掲載された写真が(物件ではなく)本物のゲイリートマソン選手と当時アイドルのツーショット(某雑誌の企画写真らしい)で、大変貴重ですw

そして「超芸術トマソン」の観測は、やがて「路上観察学」へ発展していきます。現在でいう「ブラタモリ」の生みの親といえるのではないでしょうか!