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例えば「教育の三期」として、以下のように括られて考えられていたようです。
1)小学1~4年(4年間):情緒の調和をつくる
2)小学5~高校2年(7年間):知性をつくる
3)高校3~大学2年(3年間):自分の守る道義をつくる
知性をつくる、すなわち学問知識を高めるのは小5からで良い、と言われています。それより幼少時は、自然に触れて感受性を磨くことに専念すべき、と私は理解しました。
自分の守る道義をつくる、とは難しい表現ですが、この時期の(例えば、親から子への)接し方として:
理想像の最初の素描をさせ、行くべき場所を選ぶ準備をさせる
と言われています。大学生後半~社会に出るまえに、最初の選択をさせよ、と。これはつまり選択はひとつではない、いづれはひとつの方向に進んで行くしかないのだから、まず練習してみなさい、と言われているのだろうと私は理解しました。
スピード、あるいは効率が(すべてとまでは言わないものの)重要性を増している現代と、半ば逆行するような話に聞こえるため、実践するには困難さがぬぐえませんが、例えば岡潔先生が好んだ(この本の中にも度々登場する) 悠久 という言葉、この感覚を忘れずに日々過ごしていければなぁ、と思いました。
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春宵十話/自然に従う では、生命の淘汰になぞられて、次のようなことをおっしゃられています。
1つの論文は大体20ページで、2年間を費やして完成している。
一方、日々の検討結果は約3ページ分であるので、つまり2年間で2000ページ書き記したことになる。すなわち1/100に要約している。
自然のリズムにあわせればこれくらいの比率でよいのでは。
孤高の数学者が言うと、リアリティがありますよね~
様々な寄り道や、結果的には無駄であったと思ってしまいそうなことの積み重ねで、ようやくひとつのことが成し得るのだ、ということだと思います。
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もうひとつ。春宵十話/発見の鋭い喜び では、数学者という道を選択した動機について、次のようにおっしゃられています。
よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、
私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。
私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない。
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学生時代、勉強から逃避したいがためによく言い訳にしていた「こんな勉強しても社会では使わないよ(役に立たないよ)!」。。自分の子たちから、そのような発言がちらほらと聞かれるようになってきまして(苦笑)。。まぁ、成長している証なのでしょう。
こんなときは「いやいや、先に進んだところで役に立つようになるかもしれないぞ」などと無理なことは言わず(自分で説明できる範囲なら導いても良いですが)、
ふふふ。そうだね。
でも、知らないより、知っている方が、楽しいよね。
と意味深な態度で煙に巻いた方が良いかなぁ、と考えている今日この頃です。
ははは。
情緒の教育/岡 潔

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