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本当の意味での「育ちの良さ」とは ≪続きを読む≫

5月21日(木) 21:10 提供:マイナビウーマン

 

「育ちが良い」と一言で言っても、それには2つの要素があると私は思います。
一つ目は教養的な面での育ちの良さ。
……
そしてもう一つの「育ちの良さ」が人格面の育ちの良さ。

「人を妬まない」「公平で優しい」「気配りができる」「物腰が柔らかい」「感情が落ち着いている」「素直」「前向きでポジティブ」などなど。
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■真に「育ちが良い人」とはどんな人なのか

私は缶コーヒーをよく飲むのですが、自動販売機で缶コーヒーを買うと近くにゴミ箱が無いことも少なくありません。
……
そんなときに、明らかに放置された自転車のかごにごみがたくさん入っていると思わずそこに捨てたくなる気持ちが芽生えるのは決して否定することができません。
……
■育ちの良い、正しい行動を取るには
……
自動販売機で缶コーヒーを買い、捨て場所に困っている私の心には「その自転車のかごに捨てればいいじゃん」という邪心が必ずといっていいほど湧いてきます。

しかしその邪心が生まれながらも、私がその邪心に抗えているのは「神は見ている」という感覚があるからでしょう。

私は特定の宗教を信仰している訳ではないので、私が脳内で想像しているこの神に具体的な名前はありませんし、この神の前で善行をしても何かのご利益がある訳でも御座いません。

ですが「見られている」という感覚が最後の一線を超えずに防いでくれているのです。

もしも「人間に見られている」という感覚で生きていると「誰も見ていないから」という言い訳でたやすく邪心に屈してしまうことでしょう。

しかし存在しない神(信仰心のある方の場合は存在する神)に見られているという感覚で生活をしていると、この神はしつこいことに、いついかなるときでも私の行動を観察しているのです。

私は何も信仰を持てとか、宗教を持てと言いたい訳では御座いません。

真性の「育ちの良い人」ではない私たちは、常に「何かに見られている」という感覚が無ければたやすく邪心に流されてしまうのです。

この「何かに見られている」という感覚。その何かを神と呼ぶか自分と呼ぶかは何でも構いませんが、その感覚がある人のことを私は「人格的に育ちの良い人」であると考えております。

そんなものが無くても正しい行動をすることができる真性の育ちの良い人には到底なることはできませんが、紛い物の育ちの良い人であれば今からでもなることはできると私は思います。

 

 

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えっ? ゴミ箱がなかった時に、捨てようなんて思いもかけない私は、育ちが良いっていうこと?

 

う~ん、これを育ちが良いというのは、少々腑に落ちないけれど……。

 

でも、自分で言うのもおこがましいのですが、いい人ですよ。(笑)

 

自転車の籠にゴミが捨てられていることがありますが、私の籠で良かったな~と思うもの。

 

私だったら、そのまま家に持ち帰って、捨てたり、リサイクルに出すからね。

 

でも、正直なところ、神の目も、人の目も、意識していません。

 

見られる自分ではなく、自分がどうしたいかだけで。

 

あ、なるほど、だから、育ちが良いということになるのかしら。

 

母子家庭で、ちょっと複雑な家庭環境だったのに、どうして育ちが良くなったのか、不思議ですが。

 

 

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