新国立劇場バレエ「ジゼル」10/30感想 | 慧琳の鑑賞眼

慧琳の鑑賞眼

舞台芸術の作者、演者の思いを受け取れるように鑑賞眼を磨いています。分野横断的に書いています。詳細はアイコンクリックの後、プロフィール、メッセージボード、パソコンならばブログトップをどうぞ。

  10/30の井澤さん&柴山さんを目当てに取りました。柴山さんは癖のない踊りで見ていてとても安心できるし、気持ちが良い!←これ大事!!ということでハロウィーン前日だから新宿駅ヤバかったりして・・・?という心配もなく(やたらスーツケースを持ち運んでいる人が多かった)、安全に新国立劇場までたどり着けました。

 

 いつもよりかなり薄くなったチラシ袋、中には3枚くらいの公演チラシと劇場からのご案内しか入っておらず、今後の公演のチラシは自分で取れと!? 劇場内にチラシ置いてあるけど、見落としちゃうから全部ドバッとくれたほうが良いのに・・・

 

 それはさておき、久しぶりのジゼル。新国立劇場のは初鑑賞、ロイヤルバレエ出身のアラスター・マリオットさんによって改訂振付がなされており、ペザントやウィリのコールドなど見慣れている者とは少し違う振付でした。

 

 登場の井澤アルブレヒト、やたらジゼルの手を握ったりチューしようとしたり、かなり遊んでますよね!?「遊びのアルブレヒト」ですよね?そうやって見ると、ジゼルの死を嘆き悲しんでいるのは「俺の気晴らしちゃんが・・・」というもう人格的にアカン嘆きなのか?

 

 あるいは、死して気付いた自分の浅はかさなのか?

 

 逆に、第一幕では無邪気すぎたアルブレヒトだったのかもしれない。

 

 どちらにせよ、第二幕ではジゼルの影を追い必死ですがるアルブレヒト、終わりはジゼルが残していった牡丹(椿?)を手に取り、ジゼルのお墓に横たわります(=死、というのは筆者の解釈)。

 

 そう、東京バレエ団では最後にユリを残していきましたが、今回は平たいお花だった!このユリに「私を忘れないで」あるいは、「私を忘れて自分の定められた運命を生きて」という意味を含ませて見るのは今までの筆者でしたが、残されたアルブレヒトが横たわるというのも新しい演じ方で気になる目

 

 第一幕の登場では、村の少女たちはそろって皆農作業へ。ジゼルだけお体の事情でお留守番ですが、そういったぼっち行動がブラブラしにきたアルブレヒトの目に止まり、恋愛関係のもつれに発展。教訓:ぼっち行動の危険さ。

 

 中家ヒラリオンは強引なところで全てが上手く行っていないのかと。もう少し、ジゼルに優しくして、アルブレヒトの正体をばらすときも皆の前じゃなくてこっそり言うとかにすれば良かったのにぃ~お母さんはアルブレヒトのことを怪しんでるんだから、後はヒラリオンくんがお母様の信頼を勝ち取れば良かったのよ~。

 

 舞台セット、第二幕は谷底を表していて、周りに木の根っこと宙に浮いたお墓が並んでいます。そして、ミルタとジゼルはエレベーターで上がったり下がったり。より幽霊らしさが増していました。ウィリたちも登場はヴェールをかぶって踊り、一旦捌けたあとはヴェールを取って登場。あ、一斉に取る版じゃないのかーと思いました。

 

 最近直塚さんが新国立劇場に入団されたとのことで、雑誌『クララ』のコンクールページに必ず載っていた方が、とうとう新国に・・・!と少し感動。

 

 中田さんは、バレエチャンネルでインタビューをされていらっしゃいましたが、プロフィールを拝見すると、高学歴&新国ソリスト級のバレエ技術。そしてお子さんまで・・・「全てを手に入れた女」と呼んでもよろしいでしょうか?

 

 などなど気になる方がちらほらいる新国ですが、踊り方がまたちょっと変わりましたね。上体の動きが少し大きくなりました。コールドのキビキビアームスはなくなり。こちらのほうが筆者の好みですが、相変わらずの小粒感。

 

 そういえば昔、まだバレエの見方を知らない小学生の時は第二幕のアルブレヒトのアントルシャ・シスの拍手を「何で?すごいことしてるの?」と言っていた記憶が。苦しみの踊りを超絶技巧で以て示すというのが面白いですよね。アントルシャの次はブリゼだったので、内ももを打ち付けるのがバレエにおいての苦行のようです。分かる~

 

 余談ですが、最近ブログでもツイッターでも、「バレエを見に来た無知な客」の内容で鑑賞初心者の悪口を書いている人が多すぎる!バレエの知識でマウント取ってるんじゃない!え?とは思ってもわざわざ文章にするな!どんだけご自分が高尚な方が存じませんが、本当に高尚な方でしたら下々のことなど目に入らないと思いますが?