この世界に穴を開ける・・・クリスチャニア・コミューン | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

ブログの説明を入力します。

  パリコミューンについては、マルクス、そしてレーニンをはじめ、その革命の現実性の出現を大いに評価しています。

 

『フランスの内乱』でマルクスは「コミューンは、さまざまな市区で普通選挙によって選ばれた、責任ある、短期間で解任可能な市会議員で構成された。議員の多数は当然のことながら労働者か、労働者階級によって承認された代表者だった。コミューンは、議会的組織ではなく、同時に行政と立法の機能を果たす活動的組織でなければならなかった。警察は、中央政府の官吏であり続けるのではなく、ただちにその政治的属性を奪われ、責任ある、いつでも解任可能なコミューンの官吏へと変えられた。他のすべての行政機関の公務員も同様だった。コミューンの議員をはじめとして、公務は労働者なみの賃金でなされなければならなかった。国家高官たちの既得権益や代表者手当は、高官そのものとともに消滅した。公職は、中央政府の手先たちによる私有財産ではなくなった。・・・司法職員は、あのいかさまの独立性を剥奪されなければならなかった。それは単に、歴代の政府すべてに対する彼らの卑屈な奉仕を覆い隠す役目を果たしてきたにすぎないのであり、彼らは政府が交代するたびに忠誠の誓いを立てたり破ったりしてきたのである。他の公僕同様、治安判事や裁判官も選挙され、責任を負い、解任されうるものでなければならなかった。」

 

 ・・・民主主義=自治の世界としてのあり方の模範です。階級のない、平等な世界としての共産主義・社会主義的世界の可能性、ここに1871年のパリコミューンが歴史的に評価される(もしくは意図的に無視される)理由があるのでしょう。「世界は他のあり方ができる」のだ、いうことの示したのです。

 

 この夏、2018年現在も現存するパリコミューン、ではなくてコペンハーゲンコミューンであるクリスチャニアに行ってきました。

 

 クリスチャニアとは、1971年(つまりパリコミューンの100年後!)、空き家のまま廃墟となっていた軍の兵舎にヒッピーたちが移り住み、アート活動を開始。その後徐々に人が増え、占拠。80年代には土地を取り戻そうとする政府が要請した警官隊と住民の銃撃戦や住居の取り壊しなどがあり、そのたびにクリスチャニアの住民が団結し抵抗し危機を乗り越えてきた自治区です。クリスチャニアの存続を願う一般市民らも応援に駆けつけたとのこと。1990年に政府と建物を増やさない、人口を増やさないで合意し現在に至っています。(『クリスチャニア 自由の国に生きるデンマークの奇跡』(清水香那))

 

 徹底的な議論で自治を行なっている自由の国としてのクリスチャニア。このような自治区が世界で拡がっていき、やがて、世界が民主主義と平等に覆われるというのが革命かもしれません。そんな突破の可能性を実感しました。

 

 写真は、クリスチャニア側から見た資本主義世界の入り口。「ここからEUへの入り口」