「密会」のすすめ | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 今や、こっそりメールやラインのやりとりも警察につかまれて、誰それと誰それは、こんなことを考えている、こんなことを計画していると把握するのは簡単、実際、ある労働組合が狙い撃ちにされてメールサーバーの管理者に対する捜索令状だけで、何時、どこの会議に出席するかを知られて居たとのこと。

 

 また、韓国でも労働組合の幹部が5ヶ月間に渡りリアルタイムで携帯電話の位置追跡が行われ(今や数センチ単位の誤差だそう)、ストライキを監視していたとのこと。誤差がその程度なので、家の中で夫婦喧嘩して別の部屋で寝ているのも推測されるそう・・・。

 

 SFのような、すごい監視社会の到来です。私が、何時・誰と・どこで・どんな話をしていたか、は権力側は知ろうと思えば何時でも知ることができるということです。しかも、通信傍受(盗聴)は合法範囲は拡大しているし、話をした段階で、たとえばストライキの計画なんて、組織的威力業務妨害とか組織的監禁とか「共謀罪」として逮捕しちゃうこともできるでしょう、なにしろレンタカー割り勘でも逮捕・勾留しちゃうんだから。

 

 ここまでディストピア的な現実が、私たちの生きる世界なわけですが、そんなことどうでもいい、別に俺は不自由しない、私は気にしない、だって、政治とか関係ないもん、みたいな人も多いです。

 

 そりゃ、そうかもね。ここ数十年で、「支配」はスマート化し、「疑い」、「反抗」し、「抵抗」し、「闘う」なんていうあり方はすっかり骨抜きにされちゃったから。

 

 下手すれば、もっと私たちを監視してください、なんて気持ち悪い、情けない思いを持っている人も増えているかもしれません。やれやれ。

 

 私は生理的に嫌ですけどね。どこで、誰と、何しようが勝手だろ、まさに「お前の知ったこっちゃない」、つまり知られたくない。

 別に、何もこっそり、こそこそやりたいわけでもないけど、30年前だったら、一旦、家を出れば、子どもがどこで何をやっているかだってわからなかったわけで、それでも社会は成り立ってたでしょ?

 

 「監視」とは、つまりは「不信」を起源とするものであり、信じていないから監視するわけ。監視社会とは、そして、それを受け入れる私たちは相互に他者を信頼せず(テロリストかもしれない、とか)、心を打ち解け合わない(「俺、本当はこういうこと考えているんだ」とか)社会だということでしょう。

 

 だからね、私たちは、もっとアナログに権力から見ての「密会」をしましょう、って話。大事なことは実際に会って(例えば、何気ない蕎麦屋とか)、顔を見て話す。忙しいけど、そりゃ。で、次の約束もその場でしちゃう。・・・別に一昔前の通りか。それだけで、監視を一つかいくぐれます。

 もちろん、次は、街中に溢れる監視カメラでの顔認証もあるけどね!もう毎日がスパイ大作戦♪、こんな世界に誰がした?、21世紀前半の現実です。大胆に、慎重に!