今年の冒頭、いきなり話題さらったニュース。「国際非政府組織(NGO)オックスファムは16日、世界で最も裕福な8人の資産が、世界人口のうち下位50%(約36億人)の合計額とほぼ同じだとする報告書を発表(1/17)」。
だって、世の中そんなもんでしょ。資本主義なんだから仕方ないでしょ。せいぜい頑張って、少しでも上を目指すしかないでしょ。頑張ればもっとおこぼれには預かれるでしょ。
・・・みたいな反応も多いかと思います。
もう少しマシだと、累進課税を徹底しよう、とか、ベーシックインカムを実現しよう、とか。
いずれにせよ、なんとも、諦念というか、本質的に諦めから始まった絶望に追い詰められている発想ばかりだと思います。この資本主義体制の表面には、こんな発想が浮かび上がるばかりですが、ここまで「格差」というか「階級」というか「差別」というか「不平等」が拡がっちゃうと人類のシステムとしての資本主義は向いてないんじゃいの?って思う方が正常で当然な発想なのではないか、と思います。実は、そう思っている人が、結構いるんじゃないかなあ、少なくともこの事実を知ったなら36億人くらいは。
そりゃ、その8人はすごい人かもしれません。しかし、そのことと、この異常な格差の成立は別でしょう。なにがどんなにスゴイかともかく、4.5億倍の資産を独占する合理的な理由はないと思います。
トマ・ピケティの『21世紀の資本』でも指摘されていた通り、資本主義の歴史は、持つものとが持ちづつける、つまり格差が拡がり続ける、そういうシステムだということです。
このシステムを変更してしまおうというのが、「革命」という発想であって、いまやさほど抵抗がない発想ではないかと思います、大方の人類にとっては。
私がざっくり考えても、この8人に不必要に独占されている富を「解放」することにより救われる人類は極めて多いと同時に、これまでの技術の発展により世界全体の豊かさは、うまくコントロールしさえすれば、全体の人類=私たちにとってかなり豊かなものとして存在しているのではないかと思うのです。
くだらない戦争のための資産や「儲け」のためだけの資産である核爆弾、原発などをなくせばもっともっと豊かになるでしょう。
「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」(『ゴーダ綱領批判』マルクス)ためには、十分の富が地球にはすでに蓄えられているはずです。「競争」だけが生き方ではないし、清貧に甘んじることだけが正しい世界のあり方ではありません。
「革命」とは豊かになるために行うのです。ベーシックインカムとは「政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で定期的に支給するという構想」にすぎず、この「最低限の」というところが最初から負けている発想であり、いま、36億人が8人に求めるべき「平等」の感覚とは程遠いでしょう。
2017年のいま、もはや「平等」を求めるとは「革命」に極めて近いことになってしまっています。そりゃそうだよね。