さて、今朝の新聞を見ると日本の人口減少と高齢化が報道されていると共に、現天皇が「生前退位」したい旨述べているとのこと。
いわば、退職規程が皇室典範に明記されていないから問題とのことのようですが、天皇個人の高齢化ということで済ませるのではなく、「天皇制(システム)」について改めて考えるべきだと思います。そうでないと、なし崩し的に「制度」自体は存続という方向になってしまいそうなので。
戦前、1935年の天皇機関説事件の頃は、実は、天皇機関説を攻撃していた軍部こそが天皇の意思を尊重せず、むしろ軍部こそが天皇を「一機関」として扱っていた、そして、そのことに天皇「自身」は不満を持っていた、というか、そもそも天皇自身は「機関説」に賛成だった、というねじれた話があります。
また、ナチス政権下で「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)の責任者であるアイヒマンは、「普通の人」だったということはハンナ・アーレントの指摘は有名です。
さらに、横浜事件において治安維持法下の拷問による自白で有罪判決を下し、その判決を焼却隠滅した当時の裁判所(官ら)の責任を今の裁判所は不問に付しています。
どう考えるべきか・・・・個人がいかに、「いい人」だったり、「普通の奴」だったり、「本当はそういうつもりじゃなかった人」だったり、「その時は合法で仕方なかった(と言いたい)人」だったとしても、それで許しては、まさに「地獄への道は善意で敷き詰められている」ということを放置してしまう、眺めてやりすごしてしまう、ということにならないでしょうか。ただただ責任を問わずに曖昧にしたまま繰り返すことにならないでしょうか。
制度としての「責任」が具体的「担当者」が替わることにより曖昧化されることはよくあることだと思います。「制度」だけが存続し、誰も責任は取らない、という形で。
私が弁護士になった頃は、ちょうど天皇が昭和天皇から平成天皇への「代替わり」の時期であり、昭和天皇の戦争責任という問題もクローズアップされていました。天皇の名において戦争が遂行され、兵士として動員された人々への責任は明確にされないまま、戦前の天皇が、戦後も象徴天皇として、そのまま在位し続けていたのです。
時代は、またしても資本・政府が戦争体制の構築を目指しています。街頭演説を聞いていても、言葉よりもイメージ、ナショナリズムなどが台頭しつつあると思います。その中には、天皇「制」という装置もあり得ます。
1969年、一般参賀で「ヤマザキ、天皇をピストルで撃て!」と叫びながら、実際にはパチンコ玉を発射した奥崎謙三氏の「怒り」(ヤマザキとは元「日本兵」として「激戦地」ニューギニアで次々と戦死していった仲間の山崎上等兵のことを意味するようですが)は、その戦争の「責任」の中心にいたはずの「天皇」の責任に問われず「制度」として残置されたことに対するものだったと思います。この怒りは、戦争に駆り出され犬死を強いられた民衆側の怒りとして共有できるのではないでしょうか。
ヒトラーがこんな人柄であったとか、スターリンが見せる素顔だとか、そして、明仁氏がこういう人である、安倍晋三氏の妻がこんなことをしている、みたいな話から、私たちは何を考えるべきなのでしょうか。天皇も総理大臣も人間なんだねえ・・・で終わっても意味がありません。
どんな人であったとしても(家では良きパパであったとしても)、そのポジション・役割の責任はあるし、また、その制度(システム)としての責任はなんらかの形で取られなければ、何の「歴史的教訓」もないままに同じ失敗が繰り返されそうです。支配組織も、司法制度も、そして天皇制度も。
憲法上、平等の例外規程として「天皇制」が存置され、あらゆる差別の温床となっています。というか「国民主権」「法の下の平等」などをうたいながら「天皇」を「象徴」として存続させた憲法は、私たちの中に矛盾を曖昧に抱きかかえさせていると思います。
そして、その「矛盾の曖昧化」は、放っておくと「責任」や「差別」や「民主主義」の根幹に関わりうる無視できない「問題」だと思います。
今、この政治情勢下で、天皇制を憲法から外す改憲をすべき、などと言い出す気は毛頭ありませんが、「生前退位」の問題が、かえって天皇制(存続)自体の問題を後景化させることにならないかは危惧します。
全体主義的な戦前の中心にあった天皇制が戦後も戦争責任を明確にしないまま曖昧な連続性を持ったことに納得できない人たちは、やはり、多くいた、いると思うのです。