新たなナショナリズム=「国民連合政府」への幻想 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 私の理解では、共産党を含む野党「全て」が、自衛戦争というか、個別的自衛権というか、まあ、呼び名はどうでもいいですけど、日本の「自衛」の概念に含まれる戦争は肯定しています。

 つまり、共産党が打ち出した「国民連合政府」構想とは、自衛戦争体制であり、ただ、アメリカなど他国のための戦争はやめよう、という構想なのだと理解します。つまり、ナショナリズムに基づく戦争は肯定、違いますか?

 では、南シナ海(南中国海)で起こる中国の埋め立て地をめぐる米中の煽り合い(「航行の自由作戦」だって)が跳ね返って、日本の領海に及んだ場合、どうするの?とか、朝鮮有事は、絶対、「自衛」に含まれないのか、などなど疑問です。

 「集団的自衛権」だろうが、「個別的自衛権」だろうが、要は戦争したい国家の造語にすぎないわけで、まあ、「自衛」って言葉・概念自体、今日も、自民党の議員が口にする「美しい日本の国柄」なんて言葉と同じく、本質的には聞き流してはいけない、わけのわからない言葉・概念なのだと思います。

 よくわからない言葉・概念を聞き流したり、なんとなくうなずいたりするのはおかしいことです。

 ということで、「国民連合政府」とは、概念が若干違う名の戦争を肯定する政府と整理されるものだと思いますが、違いますかねえ?

 「とりあえず、安倍政権打倒で一致することが重要なんではないのか?ここは打倒したい勢力が大同小異を乗り越え一致すべきではないか」的な、これまた経験則に裏打ちされていない日和見的な意見が散見されますが、このような刹那的・暫定的一致がうまくいったことは、ここ20年なかったと思います。あったらなら具体例をあげて欲しい、だいたいは、曖昧で、「ちょっとマシ」的な姿勢が粉砕され続け、右傾化したのが、21世紀の日本のここまでの歴史だと思います。

 共産党がこういう構想を立ち上げるのは、本質的に、「現体制」の中でポジションを持ちたい、という党益があるからなのでは?、と思ってしまいます。

 根本的には、今のあり方=現体制を根本的に改めたいというような発想、つまり、革命的思想を認めたくない、それが「国民連合政府」構想だと思います。

 だって、本当に、戦争反対なら、民主党と連立できるわけないじゃん?と思うのですけどね。
 原発再稼働、消費税など、民主党の時代に、何があったか忘れている人はいないんじゃないですか。ねえ・・・。