苦しみや悩み失敗などなど

上手く行かないことがある時は

自分自身がものごとを分けて考えているときのような気がします。






もちろんシンプルに考えるためにものごとを分ける

という方法はとても大切ですが

それはとっつきやすくするために分けただけで本来の姿ではないというか・・・。





上手くいえませんが・・・。








例えば、

自分の周りのひとを好きなひとと嫌いなひとに分ける

練習と本番を分けて考える

ものごとを善と悪のふたつにきっぱりと分ける

などなど






本番を意識して練習をいかに充実させるかによって本番が上手くいくかどうかが

決まるでしょう。





普段どう生きているかで危機を乗り越えることができるか

逆にチャンスを掴めるかどうかが決まるでしょう。







一見全く別のことのように見えて実は根っこの部分ではすべてがつながっている。





自分自身と同じように周りのひとやものを大事にすべきだし



まわりに対するのと同じように自分自身を大切にすべきだと思います。







使い古されたことばですが

冷めた頭で新しいことをいうより激しいこころで当たり前なことをいうほうがよい

というようなことを漱石先生もおっしゃているので・・・。

自分が変われば周りが変わるし

自分がほんとに充実していて幸せならまわりも自然とそうなる・・・。

そんな気がします。






ちっぽけに思えることが連動して大きなものが動く

だからこそひとつひとつのことを毎日大切にしていこうと

思った週末でした。





愛されるひとはほんとにいい顔をしている気がします。





万事上手く行ってるからいい顔をしているのではなく






いつもいい顔でいられるから万事上手く行く






そんな気さえします。








ついついわるい方に考えたり、疑ったり、

斜に構えてしまう自分がいるからこそ

それに気づいて






いつもまっさらな気持ちで

晴々としていたいです。

ヨワネを吐いているうちは





自分以外の悲しみ、苦しみは聞こえてこない







自分から離れて






自分に求められることとはなんなのか






自分に何ができるのか






自分はどう在るべきなのか







自分はどこへ向かっていくべきなのか









気が狂いそうになるくらい真摯に真正面から問い続けるとき







燃えるような日々を送るとき







光より速くいまを生きるとき







未だ見ぬ私に出会うことができる。






そんな気がします。








では。