孔子は世を憂い
理想の政治、人と人との在り方を
諸国をめぐり生涯をかけて説いてまわりました。
しかし、生きている間にその教えが受け入れられることは
ありませんでした。
それどころか、良かれと思って言ったことが
行く先々の諸侯の逆鱗に触れ命を狙われることもしばしばでした。
あるとき孔子は病気になりました。
病状は次第に悪化していき
いよいよ危ないというときに、
弟子の中で一番の問題児の、
しかし、だれよりもまっすぐに孔子のことを慕う
子路(しろ)が孔子の寿命を延ばしてもらえるよう
鬼神に祈りの儀式をささげたいと言い出します。
そんな子路に孔子は
「私はこれまでいつも祈るようにして生きてきたつもりだ。
だから、いまさらそんなことをする必要はない。」
と言います。
たとえだれにも認めてもらえなくても
そのことで命を取られることになろうとも
世の中が少しでも良くなるようにと
ほんとうにいつも祈るような気持ちで
教えを説いて回っていたのでしょう。
一日が始まるとき
そして、眠りにつくとき
大事な人たちのことを思って祈る。
どうにかしたいけど、自分のちからでは
どうにもならないとき
かなしいとき
苦しいとき
宗教だとか、信仰なんかに関係なく
気がつくと「どうか・・・」と祈っている。
祈りでおなかは膨れないし、
ものが買えるわけでもなければ、
魔法のように問題が解決するわけでもないでしょう。
けれど、自分には何もできないと思えるようなときでも
まだ、だれかのために祈ることができる。
そして、何もしないとでは確かに何かが
違うはず
それなら、「祈りました。はい、終わり。」
というのではなくなにをするでも祈るように生きたい
祈るように生きるということ
僕にとっては
祈るような気持ちで人と接し、
祈るような気持ちで勉強して、
祈るような気持ちで食事をいただき
祈るような気持ちで音楽を奏でる
ということ
新聞を広げても自分のまわりをみても
まぁいろいろあって
自分のちからでなんとかできることって
ほとんどないけど
かなしみだとか苦しみなんかで
目を曇らせることなく
いつも、その先を見通していたい
そう思いました。
今日もブログを読んでいただきありがとうございます
少しずつでいいからあなたのまわりのいろんなことが
いい方向に向かっていきますように