いろんなことやいろんな人たちが通り過ぎて行き
何か一つ終わって行った感じする今日この頃です。
ずいぶん長い間かかって
思い出したくないことも多いし
何も変わっていないといえば変わっていないのかもしれないけど
ぐるっと一周して戻って来れたと思える
そんな感じです。
自分には重たすぎて座り込んでしまったり
屈折してしまったりすることもある。
だけど、ときには助けてもらうことも覚えながら
素直に、まっすぐでいようとすることはほんとはいつだってできて
気付いてみるとこんなに普通で当たり前のことだったんだとわかる。
いろいろなことを経験して
世の中とか人について知って
「現実を見ろ」というようなことをいう人の中には
あきらめとかニヒリズムを持ち出す人もいるけど
よーく目を凝らしてその人たちの言う「現実」を見ていると
必ずしもそうとは言えないんじゃないかと思えてくる。
どんなに情けなくて、「だめだのぉ(_ _。)」と思う自分でも(笑)
ずーっと奥の方まで目を凝らしてみると必ず「高貴」な部分があって
それを自分の中に見出すことそして大事にしていくこと
自分以外の人の中にもそれを見出していこうとすること
何か特定の宗教を信じているわけではないんですが
自分が信じるものというか困ったときに立ち戻るところというか
そういうものを思ったところでした。
何か一つ終わって行った感じする今日この頃です。
ずいぶん長い間かかって
思い出したくないことも多いし
何も変わっていないといえば変わっていないのかもしれないけど
ぐるっと一周して戻って来れたと思える
そんな感じです。
自分には重たすぎて座り込んでしまったり
屈折してしまったりすることもある。
だけど、ときには助けてもらうことも覚えながら
素直に、まっすぐでいようとすることはほんとはいつだってできて
気付いてみるとこんなに普通で当たり前のことだったんだとわかる。
いろいろなことを経験して
世の中とか人について知って
「現実を見ろ」というようなことをいう人の中には
あきらめとかニヒリズムを持ち出す人もいるけど
よーく目を凝らしてその人たちの言う「現実」を見ていると
必ずしもそうとは言えないんじゃないかと思えてくる。
どんなに情けなくて、「だめだのぉ(_ _。)」と思う自分でも(笑)
ずーっと奥の方まで目を凝らしてみると必ず「高貴」な部分があって
それを自分の中に見出すことそして大事にしていくこと
自分以外の人の中にもそれを見出していこうとすること
何か特定の宗教を信じているわけではないんですが
自分が信じるものというか困ったときに立ち戻るところというか
そういうものを思ったところでした。