汝等(なんだち)は人を かたうど(方人)とせり。日蓮は日月(にちがつ)・帝釈(たいしゃく)・梵王(ぼんのう)を かたうどとせん。日月天眼(てんげん)を開いて御覧あるべし。将又(はたまた)日月の宮殿には法華経と大日経と華厳経とをはすと けう(校)し あ(合)わせて御覧候(そうら)へ。弘法・慈覚・智証・安然の義と日蓮が義とは何(いず)れがすぐれて候(そうろう)。日蓮が義 もし百千に一つも道理に叶(かな)ひて候(そうら)はゞ、いか(如何)に たすけさせ給(たま)はぬぞ。彼(か)の人々の御義もし邪義ならば、いかに日本国の一切衆生の無眼の報(むく)ひを へ(得)候はんをば不便(ふびん)とは をぼせ候はぬぞ。
(平成新編1488・御書全集1259・正宗聖典----・昭和新定[3]2131・昭和定本[2]1782)
[弘安03(1280)年07月14日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]