『本尊問答抄』(佐後)[古写本]貴辺(きへん)は 地頭の いか(怒)りし時、義城房とともに清澄寺を い(出)でておはせし人なれば、何となくとも これを法華経の御奉公と おぼしめして、生死(しょうじ)を はな(離)れさせ給(たま)ふべし。(平成新編1283・御書全集0373・正宗聖典0294・昭和新定[3]1920・昭和定本[2]1586)[弘安01(1278)年09月(佐後)][古写本・日興筆 北山本門寺][※sasameyuki※]