世間に財(たから)を積める蔵(くら)に鑰(かぎ)なければ開(ひら)く事かた(難)し。開かざれば蔵の内の財を見ず。華厳経は 仏 説き給(たま)ひたりしかども、彼(か)の経を開く鑰をば仏、彼の経に説き給はず。阿含(あごん)・方等(ほうどう)・般若(はんにゃ)・観経(かんぎょう)等の四十余年の経々も 仏 説き給ひたりしかども、彼の経々の意(こころ)をば開き給はず。門を閉ぢてをかせ給ひたりしかば、人 彼の経々を さと(悟)る者 一人(いちにん)もなかりき。たと(仮)ひ さと(悟)れりと をも(思)ひしも僻見(びゃっけん)にてありしなり。而(しか)るに仏、法華経を説かせ給ひて諸経の蔵を開かせ給ひき。此(こ)の時に四十余年の九界の衆生 始めて諸経の蔵の内の財をば見し(知)りたりしなり。
(平成新編0356~0357・御書全集0943・正宗聖典----・昭和新定[1]0539・昭和定本[1]0396~0397)
[文永03(1266)年01月06日(佐前)]
[真跡・水戸久唱寺他十一ヶ所(10%以上40%未満現存)、古写本・日目筆 宮城一迫妙教寺]
[※sasameyuki※]