法華経の意(こころ)は 一々の文字は皆(みな)爾前経(にぜんきょう)の意を顕(あら)はし、法華経の意をも顕はす。故(ゆえ)に一字を読めば一切経を読むなり。一字を読まざるは一切経を読まざるなり。若(も)し爾(しか)らば法華経無き国には諸経有りと雖(いえど)も得道(とくどう)は難(かた)かるべし。滅後に一切経を読むべきの様(さま)は華厳経にも必ず法華経を列(つら)ねて彼(か)の経の意を顕はし、観経(かんぎょう)にも必ず法華経を列ねて其の意を顕はすべし。諸経も 又 以(もっ)て此(か)くの如(ごと)し。而(しか)るに月支(がっし)の末の論師 及び震旦(しんだん)の人師(にんし)此の意を弁(わきま)へず、一経を講じて各(おのおの)我(われ)得たりと謂(おも)ひ、又 超過諸経の謂(おも)ひを成(な)せるは曾(かつ)て一経の意を得(え)ざるのみに非(あら)ず、謗法の罪に堕(だ)するか。
(平成新編0202・御書全集0591・正宗聖典----・昭和新定[1]0312・昭和定本[1]0154)
[正元02(1260)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]